2008年10月02日
共同売店に関する質問
先日、一緒におんな売店(恩納共同組合売店)を訪れた、東洋大学の学生さんから、共同売店に関する質問をいただきました。
せっかくなので、了解を得てブログの中で私なりにお答えしたいと思います。
Q.共同店は集落での経営がもとであったようですが、個人経営に移行していったのは、どのような理由からなのでしょうか。
A.共同売店(共同店)は、その地域で暮らす住民が出資しあって設立したものです。多くの場合、子どもから老人まで住民の全員が「株主」です。運営形態は大きく分けて「部落直営」と「請負」とがあります。
直接の経営の場合、売店の責任者は「店長」ではなく「主任」と呼ばれ、区長さんなどと同じく選挙で選ばれる「ムラの公務員」です(参考、奥共同店の選挙)。みんなの大切な共有財産の運営を任せるのですから、経営手腕、リーダーシップ、人柄など、しっかりした人しか主任にはなれませんでした。
もともと、すべての共同売店は直営でスタートしていますが、さまざまな理由から、経営を委託する「請負制」を取り入れる売店が出てきます。入札によって個人に請け負わせるもので、東村、大宜味村では早くから請負にした売店が多いようです。
請負制になった理由は、一概には言えませんが、直接的には「主任を任せる人が見つからないため」「売上が少なく赤字になったため」という理由が多いようです。その背景には、立地条件、人口の減少、道路事情の変化、大資本によるスーパーなどの進出など外部的な要因も密接にからんでいます。
また、経営は順調であっても請負制にしている売店や、一度は請負制にしたものの直営に戻した例もあります。
Q.おんな売店は全日食(こちらを参照)により、他の売店よりコンビニに近い印象を受けました。コンビニやスーパーとの違いを教えていただきたいです。
A.共同売店は、一見すると単なる商店に見えます。おんな売店は規模が大きいので特に区別がつきにくいかもしれませんが、共同売店とは一般のスーパーや商店とはまったく異なる存在です。
共同売店は1906(明治39)年に国頭村の奥で誕生し、明治末期から大正にかけて沖縄本島北部の山原地域など各地に次々と設立されていきます。当時のやんばる地域はまさに僻地であり、那覇など商業の中心地への交易には、山原船(この辺りを参考にどうぞ)に頼るしかありませんでした。
共同売店の誕生以前の山原の各集落には、那覇や与那原、鹿児島、大阪などから入ってきた外部の商人資本による「町屋」と呼ばれる商店がありました。これらの商人は山原船を所有し、商品の取扱いをすべて握っていました。「彼らは商品知識に乏しい農民に対して、はなはだしい不等価交換で暴利をむさぼったものであろう。(略)このような外来の商人的資本は、主要な部落で町屋を経営し、農民の林産物売却代金をそっくり町屋に吸収する仕組をつくりあげていった。(略)このような窮地に追い込まれた部落では、外来の商人的資本に対抗して生活を防衛する方策として、部落単位の団結による生産物の共同販売、日用品の共同購入を中心とした共同店を誕生させていったのである」(南島文化創刊号『共同店と村落共同体』沖縄国際大学 1979年)
共同売店は集落の生活を守るために生まれたもので、利益は地域へと還元されます。そのようにして蓄積された利益は、生産物の販売と日用品の共同購入だけでなく、製材、精米、製茶、酒造などの新たな産業を生みだし、病気、災害などの見舞金や奨学金など福祉的な役割も果たしてきました。また地域の祭事などのでは中心的な場でもあり、住民同士の情報交換、交流の場となるなど、地域自治の核にもなっています。
Q.共同店の福祉機能を評価するための方法として、県内の各老人福祉施設において入所されている方の出身地域に共同店があるか調査を行いたいとおっしゃっていましたが、その後はいかがでしょうか。
A.その話はこのブログ(こことか)などあちこちでしてますが、残念ながら調査はまだ実現していません。
その他にも調べたいことはたくさんあります。共同売店など地域コミュニティが果たしている役割を評価し、政策に反映できるような具体的な調査は少ないような気がします。福祉関係の専門家、研究者の方々、協力して頂ける方を募集中です!
Q.若者たちがスーパーやコンビニの方へ足が向いてしまうので、昔ながらのお店に行きにくいのが理由の一つにあるのではないでしょうか?また常連客に疎外感を感じてしまうのでは?若者は便利性と早さを求めている?
A.まったくその通りだと思います。だからこそ、目先の「便利性」と「早さ」を追い求めることが将来的にどういう結果を地域にもたらすかを、若者たちに知らせる必要があると思います。
地域の共同店や商店がなくなって、徒歩で買い物ができなくなれば、困るのは高齢者(若者たちのおじいちゃん、おばあちゃん、両親)、子ども、障害者など、車を運転できない人たちです。そしてそれは、将来の若者自身でもあります。
また、地域のコミュニケーションの場がなくなるということ、そして地域資本が流出しつづけるということは、買い物に困るということよりはるかに重大な影響を地域コミュニティに与えることになります。(つまり、そこで暮らしていけない、ムラがなくなる、ということ)
私自身、「便利性」「早さ」「安さ」を求める若者(たぶん)の一人ですが、それだけでは社会が持たないないことに気づき始めている若者も増えていると思います。(たとえば「フェアトレード」「グリーンコンシューマー」「スローフード」「サステナビリティ」など)
もちろん、売店側にも若者を呼び込む努力は必要ではありますが。
Q.地域の人たちのためにも在る共同店ですが、経営を維持することも考えると、観光客を誘致することも重要になるのではないかと思います。今まで観光客に対して商売をするという意向は弱かったのでしょうか。またこれから観光客を誘致していくようになるのでしょうか。
A.共同売店の売上を増やすには、観光客、ドライブ客を引きつけることが重要です。もちろん、ほとんどの売店がそう思っているはずですが、それができているかどうか、うまくいっているかどうかはかなりの差があると思います。また誘致だけでなく、特産品の通信販売、ウェブショップなど、あらゆる方法で売上を伸ばし、経営を維持することが必要になってくると思います。
ただ、外部からの収入を増やすことも重要ですが、実は外へ流出していくお金を止めることも重要です。むしろそちらを忘れがちなのではないでしょうか。その昔、奥の人々が酒造所を設立したように(『共同店ものがたり』に詳しく載ってます)、外部向けの商品開発をするだけでなく、地域内で消費されるものを地域の製品やサービスに置き換えることが大切だと思います。
将来的には、「地産地消」「コミュニティビジネス(福祉サービスなど)」「地域通貨」「地域ファンド」」「資源リサイクル(ゴミも「お金」です)」「自然エネルギーの利用」など、共同売店に備わっている多機能性を活かすことで、コンパクトでエコロジカルな、資源・資本循環型の地域経営モデルが実現すると私は思っています。
■参考文献
「共同店と村落共同体 −沖縄本島北部農村地域の事例(1)−」(『南島文化 創刊号』沖縄国際大学 1979年)
「沖縄大学地域研究所所報 No.29」 (沖縄大学地域研究所 2003年) ※ここで読めます。
「ソーシャル・キャピタルと地域経営 ソーシャル・キャピタル研究会報告書」(「地域政策調査」第24号 2006 No.3 Volume24) ※ここで読むことができます
せっかくなので、了解を得てブログの中で私なりにお答えしたいと思います。
Q.共同店は集落での経営がもとであったようですが、個人経営に移行していったのは、どのような理由からなのでしょうか。
A.共同売店(共同店)は、その地域で暮らす住民が出資しあって設立したものです。多くの場合、子どもから老人まで住民の全員が「株主」です。運営形態は大きく分けて「部落直営」と「請負」とがあります。
直接の経営の場合、売店の責任者は「店長」ではなく「主任」と呼ばれ、区長さんなどと同じく選挙で選ばれる「ムラの公務員」です(参考、奥共同店の選挙)。みんなの大切な共有財産の運営を任せるのですから、経営手腕、リーダーシップ、人柄など、しっかりした人しか主任にはなれませんでした。
もともと、すべての共同売店は直営でスタートしていますが、さまざまな理由から、経営を委託する「請負制」を取り入れる売店が出てきます。入札によって個人に請け負わせるもので、東村、大宜味村では早くから請負にした売店が多いようです。
請負制になった理由は、一概には言えませんが、直接的には「主任を任せる人が見つからないため」「売上が少なく赤字になったため」という理由が多いようです。その背景には、立地条件、人口の減少、道路事情の変化、大資本によるスーパーなどの進出など外部的な要因も密接にからんでいます。
また、経営は順調であっても請負制にしている売店や、一度は請負制にしたものの直営に戻した例もあります。
Q.おんな売店は全日食(こちらを参照)により、他の売店よりコンビニに近い印象を受けました。コンビニやスーパーとの違いを教えていただきたいです。
A.共同売店は、一見すると単なる商店に見えます。おんな売店は規模が大きいので特に区別がつきにくいかもしれませんが、共同売店とは一般のスーパーや商店とはまったく異なる存在です。
共同売店は1906(明治39)年に国頭村の奥で誕生し、明治末期から大正にかけて沖縄本島北部の山原地域など各地に次々と設立されていきます。当時のやんばる地域はまさに僻地であり、那覇など商業の中心地への交易には、山原船(この辺りを参考にどうぞ)に頼るしかありませんでした。
共同売店の誕生以前の山原の各集落には、那覇や与那原、鹿児島、大阪などから入ってきた外部の商人資本による「町屋」と呼ばれる商店がありました。これらの商人は山原船を所有し、商品の取扱いをすべて握っていました。「彼らは商品知識に乏しい農民に対して、はなはだしい不等価交換で暴利をむさぼったものであろう。(略)このような外来の商人的資本は、主要な部落で町屋を経営し、農民の林産物売却代金をそっくり町屋に吸収する仕組をつくりあげていった。(略)このような窮地に追い込まれた部落では、外来の商人的資本に対抗して生活を防衛する方策として、部落単位の団結による生産物の共同販売、日用品の共同購入を中心とした共同店を誕生させていったのである」(南島文化創刊号『共同店と村落共同体』沖縄国際大学 1979年)
共同売店は集落の生活を守るために生まれたもので、利益は地域へと還元されます。そのようにして蓄積された利益は、生産物の販売と日用品の共同購入だけでなく、製材、精米、製茶、酒造などの新たな産業を生みだし、病気、災害などの見舞金や奨学金など福祉的な役割も果たしてきました。また地域の祭事などのでは中心的な場でもあり、住民同士の情報交換、交流の場となるなど、地域自治の核にもなっています。
Q.共同店の福祉機能を評価するための方法として、県内の各老人福祉施設において入所されている方の出身地域に共同店があるか調査を行いたいとおっしゃっていましたが、その後はいかがでしょうか。
A.その話はこのブログ(こことか)などあちこちでしてますが、残念ながら調査はまだ実現していません。
その他にも調べたいことはたくさんあります。共同売店など地域コミュニティが果たしている役割を評価し、政策に反映できるような具体的な調査は少ないような気がします。福祉関係の専門家、研究者の方々、協力して頂ける方を募集中です!
Q.若者たちがスーパーやコンビニの方へ足が向いてしまうので、昔ながらのお店に行きにくいのが理由の一つにあるのではないでしょうか?また常連客に疎外感を感じてしまうのでは?若者は便利性と早さを求めている?
A.まったくその通りだと思います。だからこそ、目先の「便利性」と「早さ」を追い求めることが将来的にどういう結果を地域にもたらすかを、若者たちに知らせる必要があると思います。
地域の共同店や商店がなくなって、徒歩で買い物ができなくなれば、困るのは高齢者(若者たちのおじいちゃん、おばあちゃん、両親)、子ども、障害者など、車を運転できない人たちです。そしてそれは、将来の若者自身でもあります。
また、地域のコミュニケーションの場がなくなるということ、そして地域資本が流出しつづけるということは、買い物に困るということよりはるかに重大な影響を地域コミュニティに与えることになります。(つまり、そこで暮らしていけない、ムラがなくなる、ということ)
私自身、「便利性」「早さ」「安さ」を求める若者(たぶん)の一人ですが、それだけでは社会が持たないないことに気づき始めている若者も増えていると思います。(たとえば「フェアトレード」「グリーンコンシューマー」「スローフード」「サステナビリティ」など)
もちろん、売店側にも若者を呼び込む努力は必要ではありますが。
Q.地域の人たちのためにも在る共同店ですが、経営を維持することも考えると、観光客を誘致することも重要になるのではないかと思います。今まで観光客に対して商売をするという意向は弱かったのでしょうか。またこれから観光客を誘致していくようになるのでしょうか。
A.共同売店の売上を増やすには、観光客、ドライブ客を引きつけることが重要です。もちろん、ほとんどの売店がそう思っているはずですが、それができているかどうか、うまくいっているかどうかはかなりの差があると思います。また誘致だけでなく、特産品の通信販売、ウェブショップなど、あらゆる方法で売上を伸ばし、経営を維持することが必要になってくると思います。
ただ、外部からの収入を増やすことも重要ですが、実は外へ流出していくお金を止めることも重要です。むしろそちらを忘れがちなのではないでしょうか。その昔、奥の人々が酒造所を設立したように(『共同店ものがたり』に詳しく載ってます)、外部向けの商品開発をするだけでなく、地域内で消費されるものを地域の製品やサービスに置き換えることが大切だと思います。
将来的には、「地産地消」「コミュニティビジネス(福祉サービスなど)」「地域通貨」「地域ファンド」」「資源リサイクル(ゴミも「お金」です)」「自然エネルギーの利用」など、共同売店に備わっている多機能性を活かすことで、コンパクトでエコロジカルな、資源・資本循環型の地域経営モデルが実現すると私は思っています。
■参考文献
「共同店と村落共同体 −沖縄本島北部農村地域の事例(1)−」(『南島文化 創刊号』沖縄国際大学 1979年)
「沖縄大学地域研究所所報 No.29」 (沖縄大学地域研究所 2003年) ※ここで読めます。
「ソーシャル・キャピタルと地域経営 ソーシャル・キャピタル研究会報告書」(「地域政策調査」第24号 2006 No.3 Volume24) ※ここで読むことができます
2007年10月01日
共同店、共同売店の分布地図
沖縄県内の共同店、共同売店の所在地です。
※私の知っている範囲で記載しているので、誤りがあればお知らせください。
※店名ではなく、集落名にしています。
※基本的に年々減っていいます。また一時的に閉店や、再オープンしていることがあるので、最新の状況については、それぞれ確認してください。
※鹿児島県、奄美地域にもあることが分かっていますが、まだ掲載していません。

クリックすると拡大します。
コピーして資料として使用してください。その場合はお知らせしていただけるとうれしいです。
また修正箇所がありましたらぜひご連絡ください。
※私の知っている範囲で記載しているので、誤りがあればお知らせください。
※店名ではなく、集落名にしています。
※基本的に年々減っていいます。また一時的に閉店や、再オープンしていることがあるので、最新の状況については、それぞれ確認してください。
※鹿児島県、奄美地域にもあることが分かっていますが、まだ掲載していません。

クリックすると拡大します。
コピーして資料として使用してください。その場合はお知らせしていただけるとうれしいです。
また修正箇所がありましたらぜひご連絡ください。
2006年10月12日
共同売店FAQ
共同売店というのは、知らない人に説明するのがすごく難しいです。
県外に人に対しては特にそうです。見たことはあっても、普通の商店との違いを知っている人は少ないですし、沖縄県内でも30〜40代以下の世代、中南部の人などは知らない人が多いです。
ということで、私がよく受ける質問を中心にまとめてみました。
ちなみにFAQとは、Frequently Asked Questions(よくある質問)という意味です。
随時、追加、訂正していきます。
最新の情報、間違いなどありましたらご連絡ください。
また、質問がありましたらお気軽にどうぞ。
********************************
Q.共同店(共同売店)はどこにありますか?
A.沖縄本島北部を中心に、中部、離島、奄美の一部に残っています。
Q.共同店(共同売店)とはなんですか?
A.地域住民の共同出資・共同運営による、購買などを主な目的として設立された相互扶助組織です。
Q.ふつうの商店ではないのですか?
A.ぜんぜん違います。
Q.いつできたのですか?
A.1906年(明治39年)に沖縄本島の北端に近い奥という集落で設立された「奥共同店」が最初で、100年以上の歴史があります。
Q.誰が運営しているのですか?
A.「村」よりも小さな「字(あざ)、小字、区」ごとに、地域の代表によって、それぞれ自立した運営が行われています。
Q.それぞれの売店の関係は?
A.チェーン店やフランチャイズ、ではありません。奥共同店の設立の影響を受けて設立されてきたものですが、組織としてはそれぞれ独立した存在なので、直接の関係や横のつながりはありません。
ただ大宜味村内の共同売店は共同売店の組合を作っていて、多少の情報交換はしているそうです。
Q.県や各市町村との関係は?
A.それぞれが地域ごとに設立されたものなので、県や市町村とは関係がありません。所轄の部署もありませんし、もちろん資金的な補助や援助や優遇もありません。単なる商店の扱いしか受けていません。県や市町村は特にデータも持ってないようです(持ってたら私も欲しいです)。
※歴史的に見ると、明治から大正期の「産業組合」「信用購買組合」、戦時中の「農業会」、戦後の農協など、国や県からの指導で組織変更、編入を強いられたこともあります。
Q.「共同店」と「共同売店」とは一緒ですか?
A.一緒です。最初にできた「奥共同店」は「共同店」で、国頭村内はほとんどが「共同店」です。しかし大宜味村は「共同売店」がほとんどです。全体としては「共同売店」が多いです。他にも「協同店」「販売店」「協同組合」「購買店」があり、地域色豊かです。最近は「スーパー」と名乗っていることもあります。ただし、「商店」と名乗ることはありません。
ちなみに私は一般的な呼称は「共同売店」にしています。理由は、大宜味村がそうだから。
Q.いくつくらいあったのですか?
A.1980年代の沖縄国際大学の調査では約120店あったと言われていますが、運営形態が様々で定義が難しいため、奄美地域など含めると200店近くあったと私は思っています。
Q.いつごろまで設立されたのですか?
A.大正中頃に本島北部各地で設立されてました。その後、中部、離島地域でも太平洋戦争後の1940年代から60年代にかけ設立されているようです。
Q.現在はいくつあるのですか?
A.運営形態も様々なので一概に言えませんが、60〜70店ほどだと思われます。
Q.沖縄本島の南部、那覇周辺にはなかったのですか?
A.南部地域では、南風原町兼城、旧具志頭村具志頭など7店あったようです。(1983年刊「沖縄歴史地図、歴史編」)。那覇にあったという記録はありません。共同売店の立地条件を考えると那覇にはなかったと思います。
Q.沖縄以外には共同売店はないのですか?
A.共同売店は沖縄で誕生した、沖縄オリジナルのもので、独特の歴史と組織をもった存在です。それとほぼ同じと言えるものは、奄美の「地域商店」くらいです。
ただ、その他にも似たような組織はある(あった)かもしれません。また近年、全国の各地(主として過疎地)で住民出資による商店が設立される例が増えているようです。広い意味ではそれも「共同売店」だと思いますし、私個人としては、ぜひ応援していきたいと思っています。
県外に人に対しては特にそうです。見たことはあっても、普通の商店との違いを知っている人は少ないですし、沖縄県内でも30〜40代以下の世代、中南部の人などは知らない人が多いです。
ということで、私がよく受ける質問を中心にまとめてみました。
ちなみにFAQとは、Frequently Asked Questions(よくある質問)という意味です。
随時、追加、訂正していきます。
最新の情報、間違いなどありましたらご連絡ください。
また、質問がありましたらお気軽にどうぞ。
********************************
Q.共同店(共同売店)はどこにありますか?
A.沖縄本島北部を中心に、中部、離島、奄美の一部に残っています。
Q.共同店(共同売店)とはなんですか?
A.地域住民の共同出資・共同運営による、購買などを主な目的として設立された相互扶助組織です。
Q.ふつうの商店ではないのですか?
A.ぜんぜん違います。
Q.いつできたのですか?
A.1906年(明治39年)に沖縄本島の北端に近い奥という集落で設立された「奥共同店」が最初で、100年以上の歴史があります。
Q.誰が運営しているのですか?
A.「村」よりも小さな「字(あざ)、小字、区」ごとに、地域の代表によって、それぞれ自立した運営が行われています。
Q.それぞれの売店の関係は?
A.チェーン店やフランチャイズ、ではありません。奥共同店の設立の影響を受けて設立されてきたものですが、組織としてはそれぞれ独立した存在なので、直接の関係や横のつながりはありません。
ただ大宜味村内の共同売店は共同売店の組合を作っていて、多少の情報交換はしているそうです。
Q.県や各市町村との関係は?
A.それぞれが地域ごとに設立されたものなので、県や市町村とは関係がありません。所轄の部署もありませんし、もちろん資金的な補助や援助や優遇もありません。単なる商店の扱いしか受けていません。県や市町村は特にデータも持ってないようです(持ってたら私も欲しいです)。
※歴史的に見ると、明治から大正期の「産業組合」「信用購買組合」、戦時中の「農業会」、戦後の農協など、国や県からの指導で組織変更、編入を強いられたこともあります。
Q.「共同店」と「共同売店」とは一緒ですか?
A.一緒です。最初にできた「奥共同店」は「共同店」で、国頭村内はほとんどが「共同店」です。しかし大宜味村は「共同売店」がほとんどです。全体としては「共同売店」が多いです。他にも「協同店」「販売店」「協同組合」「購買店」があり、地域色豊かです。最近は「スーパー」と名乗っていることもあります。ただし、「商店」と名乗ることはありません。
ちなみに私は一般的な呼称は「共同売店」にしています。理由は、大宜味村がそうだから。
Q.いくつくらいあったのですか?
A.1980年代の沖縄国際大学の調査では約120店あったと言われていますが、運営形態が様々で定義が難しいため、奄美地域など含めると200店近くあったと私は思っています。
Q.いつごろまで設立されたのですか?
A.大正中頃に本島北部各地で設立されてました。その後、中部、離島地域でも太平洋戦争後の1940年代から60年代にかけ設立されているようです。
Q.現在はいくつあるのですか?
A.運営形態も様々なので一概に言えませんが、60〜70店ほどだと思われます。
Q.沖縄本島の南部、那覇周辺にはなかったのですか?
A.南部地域では、南風原町兼城、旧具志頭村具志頭など7店あったようです。(1983年刊「沖縄歴史地図、歴史編」)。那覇にあったという記録はありません。共同売店の立地条件を考えると那覇にはなかったと思います。
Q.沖縄以外には共同売店はないのですか?
A.共同売店は沖縄で誕生した、沖縄オリジナルのもので、独特の歴史と組織をもった存在です。それとほぼ同じと言えるものは、奄美の「地域商店」くらいです。
ただ、その他にも似たような組織はある(あった)かもしれません。また近年、全国の各地(主として過疎地)で住民出資による商店が設立される例が増えているようです。広い意味ではそれも「共同売店」だと思いますし、私個人としては、ぜひ応援していきたいと思っています。



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