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2010年04月21日

沖縄大百科事典(追記有り)

1983年に発刊され沖縄の事柄を網羅した沖縄タイムス社の『沖縄大百科事典』。
残念ながら廃刊になっていて現在は古書でしか手に入らないようで、私も図書館などでちょっと開いて見たことしかありませんが、共同店のことも詳細に解説していて貴重な情報だと思いますので紹介させてもらいます。

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【共同店】 きょうどうてん
 地域住民のすべての構成員が出資して運営する部落(字)単位の商店。共同売店・売店・共同組合ともいう。沖縄では国頭村の奥共同店(1906年創設)が最初の共同店である。部落の大小によって、1共同店につき11戸から489戸と規模も多様で、業種も購買事業を中心に販売事業や施設などの共同利用、金銭の貸付などを兼ねる場合もある。利益金は部落の運営資金として使用されるほか、部落内の諸団体や各種行事にたいする寄付金として支出される。経営形態は部落の直営で、役員を選びあるいは職員を雇って給料を支払うものと、部落の構成員のいずれかに請け負わせるものとがあり、後者の場合はさらに請負額を競う入札制と、額を決めておいての選挙制の2種に分かれる。一般的には規模の大小が経営の優劣を左右するので、大きな共同店では競争入札となり、小さな共同店では痛み分け的な輪番制となる傾向がある。
 共同店の性格としては、戦前の産業組合や戦後の農業協同組合、漁業協同組合との共通点が多いが、法人ではなく、構成員が幼児や転出者までも含めた全人口であること、部落という一地域の存立と運命をともにする存在であることなどの特徴がある。一方、消極的な側面として複式簿記を採用せず、原価計算もできない店が多いことや、職員の超勤、給料の安さなどの問題を有している。現存する共同店の数は国頭86、中頭7、島尻10、宮古3、八重山10の計116店。これらは①戦後から一貫して継続している店、②戦後初期に配給所に変更され、のちに共同店に復帰した店、③配給所からさらに部落農協をへて共同店に復帰した店、④戦前の実績がなく、戦後の配給所から出発し、一部は部落農協をへて共同店になったものに分類される。八重山の移民部落においては、当初から一環して共同店として継続している店が多い。
 (参考)安仁屋政昭・玉城隆雄・堂前亮平「共同店と村落共同体」(『南島文化』創刊号、1979) 
 <安仁屋政昭>
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(注! 上記の共同店の数は1983年発刊当時のものです。現在は半数以下になっていると思います)

さすが全3巻、別巻索引付きの「大事典」だけあって、経営状況から問題点まで詳細に書いています。
「部落という一地域の存立と運命をともにする存在である」という表現はとても参考になりましたが、「複式簿記を採用せず、原価経産もできない店が多いことや、職員の超勤、給料の安さなどの問題を有している」「痛み分けの輪番制」には参りました。

参考文献にあげられているのは『南島文化』は沖縄国際大学の南島文化研究所紀要で、共同売店研究の中でももっとも充実したものです。詳細はこちら。

ちなみに共同店に関係の深い「産業組合」についての記述もあります。

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【産業組合】 さんぎょうくみあい
 1900年(明治33)、「産業組合法」に基づいて組織された社団法人組合。明治維新後の急速な資本主義経済の発展のもとで、中小生産者がみずからの利益を守ることを目的に、資本の運用(信用)、生産物の販売(販売)、原料・資材の購入(購買)、施設の利用(生産)を共同でおこなった組織で、これらの事業は単営あるいは兼業できるようになっていた。しかし、生産者の自主的結合というよりは、政府の監督のもとで、その助成に依存する性格が強く、また産業全般を対象としていたが、実際には農村地域で多く組織された。のちに部落、村ー県ー全国組織として系統化され、さらに戦時体制下の43年(昭和18年)に農業会系統組織として正編された。沖縄県では1901年(明治34)に那覇区の織機業者によって設立された無限責任沖縄販売購買組合がその最初のものである。その後、42年(昭和17)までに235の組合が設立されたが、中途解散が多く、組合数は最高時(1939)で110、農業会への移行時(1943)には59であった。
 <仲地宗俊>
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こちらの記述と共同売店の記述を比べてみると、その性格の違い、その後の歴史の違いがよく見えてきます。

追記

せっかくなので、「奥共同店」の項も紹介します。
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【奥共同店】 おくきょうどうてん
 国頭村奥部落の共同販売購買組織。1906年(明治39)に糸満盛邦の指導によって沖縄で初めてできた共同店であり、組織や運営の面でほかの共同店の模範とされてきた。共同店の資金は字の基本金と人口割の出資金で調達し、区議会が経営の主体となっている。事業は日用雑貨の購買、茶の集出荷、育英事業、臨時貸付、電話の取次ぎなどであるが、戦前には製材、精米、運送業もやっていた。開店は早朝6時から晩は8時までで、文字通り<われらの店>として住民生活に密着している。決算は年に3回おこない、収益は個人ごとに配当し、一定額は字費へ組みいれられている。このように奥共同店は、部落住民総体からなる生活互助組織であって、たんなる販売購買の機能だけでなく、部落の自治・財政・福利厚生・教育・情報などの諸機能と深く関わって存立してきた。 <安仁屋政昭>

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