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2011年04月30日

共同売店と災害2、奄美新聞で

前々回(4/5)、共同売店と災害について書きました。
それを受け、奄美新聞から問い合わせを頂きました。

奄美にも「地域商店」と呼ばれている、沖縄の共同売店とほぼ同じ運営をしているお店があります。
記者さんからは「奄美の地域商店も災害時に役立つのでしょうか?」との質問だったので、「もちろんです」と、改めて共同売店の機能についてお話しました。

すると、4月22日、25日の2回にわたって一面で取り上げてもらいました。

共同売店と災害2、奄美新聞で
2011年4月22日 奄美新聞


奄美の地域商店(共同売店)については、2008年の沖縄大学主催のフォーラムに呼んでもらった際に訪れ、このブログでも紹介しています。(こちら

つながりの力 奄美に残る共同売店
 集落民の大半が株主であり、同時に客でもある独特の相互扶助組織として、宇検村など一部地域で現在も受け継がれている「共同売店」(地域商店)が、災害時に重要な機能を果たすと、沖縄の専門家が提言している。半年が経った奄美大島豪雨災害に続き、先月は東日本大震災が発生。今、全国で防災のあり方が問われているが、100年以上の歴史を持ち、沖縄・奄美に今も残る共同売店が、災害に強いまちづくりのヒントになってる。


記事では大棚商店(大和村)、芦検商店(宇検村)が紹介されています。

また昨年、中越防災安全推進機構のメンバーとして沖縄にヒアリングに来られた新潟工科大学の田口太郎先生にも取材してくれて、コメントが掲載されていますよ!


共同売店と災害2、奄美新聞で
2011年4月25日 奄美新聞

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奄美新聞 2011年4月
つながりの力 奄美に残る共同売店 上

 集落民の大半が株主であり、同時に客でもある独特の相互扶助組織として、宇検村など一部地域で現在も受け継がれている「共同売店(地域商店)」が、災害時に重要な機能を果たすと、沖縄の専門家が提言している。半年が経った奄美大島豪雨災害に続き、先月は東日本大震災が発生。今、全国で防災のあり方が問われているが、100年以上の歴史を持ち、沖縄・奄美に今も残る共同売店が、災害に強いまちづくりのヒントになっている。(牧 一郎)

交流・情報収集の場
 共同売店とは、集落民すべてが出資しあって設立し、経営を行っている小売店。沖縄県国頭村の奥集落が発祥地とされる=1906年=。もともと集落の生活を守るために誕生したものたが、過疎化が進む現在も、「買い物難民」の解消や、地域間での地産地消の推進に加え、住民の情報交換、交流の場にもなるなど、地域自治の核としての役割を担っている。
 この共同売店に属する商店は、沖縄県のほか、奄美大島の宇検村に3店舗、さらに大和村の大棚商店、奄美市名瀬の大熊振興商店などがあるという。また近年、主に過疎地域における共同売店の必要性が見直され、農協の売店や、スーパーが撤退した地域で、NPO法人などが主体となり、共同売店を設立する例も全国で増えている。
 共同売店に詳しい「共同売店ファンクラブ」事務局の眞喜志敦さん=沖縄県=は、「地域力(つながり)の強化」や「救援物質の備蓄機能」、「災害後に直面する地域の過疎化への対応」の3つの視点から、共同売店が災害時に有効な機能を果たすと提言している。
  ◇  ◇
 昨年10月の豪雨災害後、奄美大島では住民同士が助け合う『結いの精神』が注目され、災害に強いまちづくりには、地域の連携・団結力の重要性が改めて見直された。
 地域団結力と共同売店の関係について、宇検村にある共同売店「(株)芦検商店」主任の玉利好文さんは、「店には自然と集落の人が集まり、懇談が始まる。店内は単に買い物だけでなく、住民のコミュニケーション・情報収集の場にもなっている」と話す。
 集落内で何か事件が起きた場合など、同商店に連絡が入り、玉利さんを介し、役場や消防などに連絡が行くことも多いという。また集落民の多くが株主として総会などを通じ、商店運営について考え、話し合うことも、同集落の団結力の強さの要因になっているようだ。
 眞喜志さんも、「顔の見える関係を築いている共同売店が、住民の絆づくりに大きな役割を果たしている」と強調する。
 芦検商店は、1961年に株式会社となり、現在は株主159人。集落民を中心に毎日、約100人前後の客が利用する。年間売上は約6千万円で、ピーク時と比べると半分以下に落ち込んでいるという。9月に開かれる定例総会では、ほぼ毎年、「個人商店化」の検討が提案されるが、「集落内に1店舗しかない商店。もしも店がなくなれば、車などを持たないお年寄りなど、住民生活に不便をきたす」との意見が大半を占め、今日まで存続してきたという。
 眞喜志さんは、「共同売店は防災に限らず、地域の福祉、教育など行政や法律の垣根を越えた『地域生活視点』での多機能性を備えている」と語り、共同売店の再評価と防災への積極的な活用を求めている。

奄美新聞 2011年4月
つながりの力 奄美に残る共同売店 下

災害時の備蓄機能
1961年に、地域住民のほとんどが株主となって設立した大和村大棚にある共同売店「(株)大棚商店」。長年、同店の理事を務めていた今井喜秀幸さんによると、同店の歴史は1914年(大正3年)にまで遡る。住民有志数人が、集めた薪を船で名瀬に運んで販売し、代わりに食料や生活品を仕入れ、集落で販売したのが始まり。大棚商店の建物のすぐ脇には、共同売店の発起人である時清光氏の碑が建立されている。
 選挙で昨年4月から女性初の理事、同店代表取締役に就任した川下八重子さんによると、現在、集落にいる株主は75人。奄美市内への交通の便がよくなったことや、集落内の人口減少で近年は苦しい経営状態が続いていたが、仕入れの管理や経営時間の短縮による人件費削減など、徹底した経費の削減に努め、2010年は、なんとか赤字を脱却したという。
 広い店内にはカップ麺、米など食料品が中心だが、木材、釘、セメント、肥料、竹ぼうき、ビニールパイプなど、他の小売店ではあまり見かけないような商品も。地域生活に必要なものをできる限り揃えているという。また客から頼まれたものをメモ書きし、それを従業員が奄美市で仕入れて、販売するのも同店の特徴。
 「運営は大変だが、店がなくなると困る人も多い。また、いざという時に役立つ。できる人が頑張らなければ」と川下さん。
 実際、「いざという時」が昨年にあった。奄美大島豪雨災害では、村内にある毛陣トンネル入り口付近や、国直から市内へ向かう県道沿いは、何箇所にも渡ってガケ崩れが発生し、通行止め。村内の各集落は分断され、一時、陸の孤島と化した。災害時、大棚商店では食料、飲料などは1日でほぼ完売。月に一度の特売日用に貯めていた商品も全て販売したという。
 川下さんは、「災害の時は特に、紙オムツやミルクが足りなくなり、困った。奄美市内にいた夫と協力し、ガケ崩れの恐怖も感じながら、国直の遊歩道を歩いて、仕入れ商品を店まで運んだ」と体験を語った。
 共同売店に詳しい、「共同売店ファンクラブ」の眞喜志敦さん=沖縄県=は、「被災地への救援物資を分散して備蓄することは、小さな集落では特に大切。備蓄する倉庫などを新たに建設するより、既存の共同売店や商店を活用する方がコストは安い。また普段から商品を扱っているため、備蓄物資の管理や更新も効率よく行える」と、共同売店の災害時の機能を説明。
 また、「沖縄の共同売店は、太平洋戦争後、人口減少が続く集落の生活を支え続けた」と、災害後に被災地で懸念される「過疎」にも共同売店が役立つことを強調する。
 この主張に対し、昨年末に中越防災安全推進機構と合同で沖縄の共同売店を視察した、災害復興やまちづくりに詳しい新潟工科大学の田口太郎准教授は、「沖縄には宅配サービスを行う共同売店もあり、独居高齢者等の安否確認など、福祉的な役割も備えている。中越沖地震の被災地では、フランチャイズの店が次々と撤退していく中、地域で共同売店のビジネスモデルを継承する動きも出始めている。共同売店は、災害で過疎化が進む地域の自立発展に非常に有効」と話した。
 ◇  ◇
 眞喜志さんは、今回の東日本大震災や奄美大島豪雨災害などを機に、地域の防災に対するあり方も含め、共同売店の必要性の見直しを訴えている。
 奄美大島情報通信体制検証委(県主催)は、3月にまとめた36の提言の中で、豪雨災害時に「結いの精神」による互助の力が発揮されたことが、被害を最小限に抑えることが出来たと指摘している。集落の「結い」によって生まれ、さらにその「結い」を育んできた「共同売店」。これを集落で守り、維持していくことは、地域の防災力を支えることにもつながるのではないだろうか。







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Posted by mkat at 13:34│Comments(0)メディア
 
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