共同売店に関する質問

mkat

2008年10月02日 02:20

先日、一緒におんな売店(恩納共同組合売店)を訪れた、東洋大学の学生さんから、共同売店に関する質問をいただきました。
せっかくなので、了解を得てブログの中で私なりにお答えしたいと思います。
Q.共同店は集落での経営がもとであったようですが、個人経営に移行していったのは、どのような理由からなのでしょうか。

A.共同売店(共同店)は、その地域で暮らす住民が出資しあって設立したものです。多くの場合、子どもから老人まで住民の全員が「株主」です。運営形態は大きく分けて「部落直営」と「請負」とがあります。
 直接の経営の場合、売店の責任者は「店長」ではなく「主任」と呼ばれ、区長さんなどと同じく選挙で選ばれる「ムラの公務員」です(参考、奥共同店の選挙)。みんなの大切な共有財産の運営を任せるのですから、経営手腕、リーダーシップ、人柄など、しっかりした人しか主任にはなれませんでした。
 もともと、すべての共同売店は直営でスタートしていますが、さまざまな理由から、経営を委託する「請負制」を取り入れる売店が出てきます。入札によって個人に請け負わせるもので、東村、大宜味村では早くから請負にした売店が多いようです。
 請負制になった理由は、一概には言えませんが、直接的には「主任を任せる人が見つからないため」「売上が少なく赤字になったため」という理由が多いようです。その背景には、立地条件、人口の減少、道路事情の変化、大資本によるスーパーなどの進出など外部的な要因も密接にからんでいます。
 また、経営は順調であっても請負制にしている売店や、一度は請負制にしたものの直営に戻した例もあります。


Q.おんな売店は全日食(こちらを参照)により、他の売店よりコンビニに近い印象を受けました。コンビニやスーパーとの違いを教えていただきたいです。

A.共同売店は、一見すると単なる商店に見えます。おんな売店は規模が大きいので特に区別がつきにくいかもしれませんが、共同売店とは一般のスーパーや商店とはまったく異なる存在です。
 共同売店は1906(明治39)年に国頭村の奥で誕生し、明治末期から大正にかけて沖縄本島北部の山原地域など各地に次々と設立されていきます。当時のやんばる地域はまさに僻地であり、那覇など商業の中心地への交易には、山原船(この辺りを参考にどうぞ)に頼るしかありませんでした。
 共同売店の誕生以前の山原の各集落には、那覇や与那原、鹿児島、大阪などから入ってきた外部の商人資本による「町屋」と呼ばれる商店がありました。これらの商人は山原船を所有し、商品の取扱いをすべて握っていました。「彼らは商品知識に乏しい農民に対して、はなはだしい不等価交換で暴利をむさぼったものであろう。(略)このような外来の商人的資本は、主要な部落で町屋を経営し、農民の林産物売却代金をそっくり町屋に吸収する仕組をつくりあげていった。(略)このような窮地に追い込まれた部落では、外来の商人的資本に対抗して生活を防衛する方策として、部落単位の団結による生産物の共同販売、日用品の共同購入を中心とした共同店を誕生させていったのである」(南島文化創刊号『共同店と村落共同体』沖縄国際大学 1979年)
 共同売店は集落の生活を守るために生まれたもので、利益は地域へと還元されます。そのようにして蓄積された利益は、生産物の販売と日用品の共同購入だけでなく、製材、精米、製茶、酒造などの新たな産業を生みだし、病気、災害などの見舞金や奨学金など福祉的な役割も果たしてきました。また地域の祭事などのでは中心的な場でもあり、住民同士の情報交換、交流の場となるなど、地域自治の核にもなっています。


Q.共同店の福祉機能を評価するための方法として、県内の各老人福祉施設において入所されている方の出身地域に共同店があるか調査を行いたいとおっしゃっていましたが、その後はいかがでしょうか。

A.その話はこのブログ(こことか)などあちこちでしてますが、残念ながら調査はまだ実現していません。
 その他にも調べたいことはたくさんあります。共同売店など地域コミュニティが果たしている役割を評価し、政策に反映できるような具体的な調査は少ないような気がします。福祉関係の専門家、研究者の方々、協力して頂ける方を募集中です!


Q.若者たちがスーパーやコンビニの方へ足が向いてしまうので、昔ながらのお店に行きにくいのが理由の一つにあるのではないでしょうか?また常連客に疎外感を感じてしまうのでは?若者は便利性と早さを求めている?

A.まったくその通りだと思います。だからこそ、目先の「便利性」と「早さ」を追い求めることが将来的にどういう結果を地域にもたらすかを、若者たちに知らせる必要があると思います。
 地域の共同店や商店がなくなって、徒歩で買い物ができなくなれば、困るのは高齢者(若者たちのおじいちゃん、おばあちゃん、両親)、子ども、障害者など、車を運転できない人たちです。そしてそれは、将来の若者自身でもあります。
 また、地域のコミュニケーションの場がなくなるということ、そして地域資本が流出しつづけるということは、買い物に困るということよりはるかに重大な影響を地域コミュニティに与えることになります。(つまり、そこで暮らしていけない、ムラがなくなる、ということ)
 私自身、「便利性」「早さ」「安さ」を求める若者(たぶん)の一人ですが、それだけでは社会が持たないないことに気づき始めている若者も増えていると思います。(たとえば「フェアトレード」「グリーンコンシューマー」「スローフード」「サステナビリティ」など)
 もちろん、売店側にも若者を呼び込む努力は必要ではありますが。


Q.地域の人たちのためにも在る共同店ですが、経営を維持することも考えると、観光客を誘致することも重要になるのではないかと思います。今まで観光客に対して商売をするという意向は弱かったのでしょうか。またこれから観光客を誘致していくようになるのでしょうか。

A.共同売店の売上を増やすには、観光客、ドライブ客を引きつけることが重要です。もちろん、ほとんどの売店がそう思っているはずですが、それができているかどうか、うまくいっているかどうかはかなりの差があると思います。また誘致だけでなく、特産品の通信販売、ウェブショップなど、あらゆる方法で売上を伸ばし、経営を維持することが必要になってくると思います。
 ただ、外部からの収入を増やすことも重要ですが、実は外へ流出していくお金を止めることも重要です。むしろそちらを忘れがちなのではないでしょうか。その昔、奥の人々が酒造所を設立したように(『共同店ものがたり』に詳しく載ってます)、外部向けの商品開発をするだけでなく、地域内で消費されるものを地域の製品やサービスに置き換えることが大切だと思います。
 将来的には、「地産地消」「コミュニティビジネス(福祉サービスなど)」「地域通貨」「地域ファンド」」「資源リサイクル(ゴミも「お金」です)」「自然エネルギーの利用」など、共同売店に備わっている多機能性を活かすことで、コンパクトでエコロジカルな、資源・資本循環型の地域経営モデルが実現すると私は思っています。



■参考文献
「共同店と村落共同体 −沖縄本島北部農村地域の事例(1)−」(『南島文化 創刊号』沖縄国際大学 1979年)
「沖縄大学地域研究所所報 No.29」 (沖縄大学地域研究所 2003年) ※ここで読めます。
「ソーシャル・キャピタルと地域経営 ソーシャル・キャピタル研究会報告書」(「地域政策調査」第24号 2006 No.3 Volume24) ※ここで読むことができます
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