2011年11月16日

沖縄の郷友会

今年も大宜味一心会の運動会に参加してきました。(11月6日)
会場はなんと、奥武山のセルラーパーク那覇(スタジアム横の室内練習場)でした。

沖縄の郷友会


私の父(昭和16年生)は大宜味村の出身です。
辺土名高校卒業後に就職のため大宜味を出ていますが、郷里を離れてからも郷友会の活動に熱心に取り組んできています。

私も幼い頃から運動会に駆り出されていました。今年も運動会の手伝いをしましたが、若い世代の担い手がほとんどいないことが気になっています。
この郷友会というものも、都市部のコミュニティの再生のためのヒントがあるんじゃないかとずっと思っていて、そういう意味で共同売店とも関わりの深いものなので今までも時々触れてきましたが、少し詳しくまとめておきます。

沖縄の郷友会

郷友会とは、各市町村(または字ごと)の出身者が移住先で作る組織です。
県外にある「県人会」に似ていますが、沖縄県内では言わば「村人会」(市町村郷友会)、「字人会」(字郷友会)にあたります。
郷友会は「門中」「模合」と並んで沖縄の共同体の特徴を語る上で欠かせないもののひとつでしょうね。

ただし「郷友会」と名乗る団体はいろいろあるようです。ここでいう郷友会は自衛隊OBの組織などとは全く別の組織です。

東京や大阪には、沖縄以外の郷友会もたくさんあって、奄美や八丈島出身者が作っているものが多いようです。
沖縄の人たちは「きょうゆうかい」と読みますが、奄美などその他の人たちは「ごうゆうかい」と読むことも多いようです。

ハワイやブラジルやペルーなど海外でも、沖縄県出身者(移民)の郷友会・県人会が活発に活動しています。
ちなみに私が古典のサンシンを始めたのは、ハワイで県系人に出会ったのがきっかけで、そのパワーには驚かされました。
今年、5回目を迎える世界のウチナーンチュ大会がありましたが、そのパワーは衰えていないようでした。県内の郷友会も海外のウチナーンチュパワーにあやかりたいと思ったのは私だけでしょうか。

 →ハワイのKyo Yu Kai (Kenjin Kai)

郷友会が設立されたのは戦前、海外へ移民していった人たちが作ったものが先のようです。
県内の郷友会は、戦後〜1960年代にかけて作られたものが多いようですが、大宜味一心会は戦前からあったようです(下記論文参照)。大正期の大阪や東京にもありそうですよね。

大宜味一心会というのは、大宜味村出身者で那覇市近郊に住む人達の郷友会です。
もう少し正確に言うと、字ごとの「塩屋郷友会」「大兼久郷友会」などの連合会が「一心会」です。共同売店も字単位ですが、郷友会も字ごとなんですね。このあたりが当時のシマの絆の強さを伺わせます。
県外ではさすがに村単位、県単位になるようです。海外ではハワイは村単位ですね。それもスゴいですが。

 →大宜味村のHPの郷友会紹介

石垣にも大宜味村出身者の郷友会、「在石垣大宜味一心会」があります。八重山日々新聞2007.5.21
沖縄市を中心とした一心会もあるようです。
国頭村の郷友会の連合会は「北斗会」といいます。
東京には、八重山各地の郷友会の連合会があるんですね。東京八重山郷友会連合会

県内の郷友会の多くは那覇市周辺にあって、運動会シーズンにはあちこちのグラウンドや小学校を借りて「親睦大運動会」が行われています。
ちなみに奥の郷友会は、字郷友会だけで運動会をしています。さすが!

沖縄の郷友会
総会で「大宜味音頭」を踊る婦人部の皆さん

郷友会の活動としては、運動会の他には生年祝・祝賀会などを兼ねた総会が主ですが、選挙の際には大きな勢力として現在でも影響力があるようで、各行事では議員の皆さんが活躍されています(笑)

しかし年々、行事の参加者が減っているのは間違いありません。
シマを出た世代から、2代目、3代目の時代になっていますから、当然「母村」への思いも薄れていきます。今年の一心会運動会では、16の字のうち5ケ字が参加しませんでした。理由は「組織として機能できていないから」です。
連合会としての一心会でさえも、会長や役員を選出するのは楽ではなくなっています。行事を継続していくだけで精一杯というのが実状です。

沖縄の郷友会
以前、団体職域リレーに「共同店」として参加した時の記念写真。

しかし、今なお数百人の参加者がある行事を運営できていることは事実です。マンネリ化しがちな運動会の種目にも、少しづつ工夫が見られはじめてきました。
興味深かったのは、「家族リレー」という飛び入りOKの種目の参加者が今年16組と、これまでで一番多かったことです。小〜高校生の子どもと両親で走るリレーなので、他の種目に比べ参加年齢は比較的若い、つまり2世、3世の世代がこれだけ自主的に関わったというのは驚きでした。

都市部に住むこれらの世代(40代前後の親)は、自分のルーツにアイデンティティを求めたり、親のふるさとへの回帰指向があるような気がします。私自身がそうだと思うんですが、つながりが希薄な都市部に暮らしていると、郷友会という「擬似共同体」への帰属意識が高まるのでしょうか。

この世代のニーズを汲み取ることができれば、まだ郷友会は存続できると思います。逆の立場からいうと、私を含めたこれらの層は、郷友会をまだまだ利用できると思うんです。


【郷友会関連資料】

・鎌田とし子「「擬似共同体」と社会運動 : 沖縄郷友会の分析」
http://ci.nii.ac.jp/naid/110006607448

・玉城隆雄、稲福みき子「沖縄における郷友会と地域社会に関する研究(1) : 方法論を中心に」
http://ci.nii.ac.jp/naid/110004750135

山城千秋「沖縄における郷友会の形成過程と今日的展開」
http://reposit.lib.kumamoto-u.ac.jp/handle/2298/15070

山城千秋「ブラジルの沖縄人社会再考」
http://reposit.lib.kumamoto-u.ac.jp/handle/2298/17702

・石原昌家『擬似共同体社会としての郷友会組織 A Village Association as a Pseudo-Community 』
http://ci.nii.ac.jp/naid/110001039470

・大里正樹『沖縄の親睦模合と県内郷友会--大宜味村大兼久の同期生会活動から』史境 (61), 71-88, 2010-09  歴史人類学会

・田島康弘「石垣在郷友会の研究 A Study of Voluntary Associations in Ishigaki Island 」
http://ci.nii.ac.jp/naid/110004994144

・宮城能彦「都市の中のむら--地域自治会と郷友会 (特集 まちづくりと社会の科学)」
http://ci.nii.ac.jp/naid/40004362501

・小林 幸司、 後藤 春彦「在沖久松郷友会にみる同郷者集団の特性と同郷者の生活像」
http://ci.nii.ac.jp/naid/110004655888




Posted by mkat at 02:17│Comments(4)郷友会
この記事へのコメント
郷友会は、現在、古里を後方支援している重要な役割ですね。
会の人は、古里に強くアイデンティティを持っている人たちなのかなぁとおもいます。

今の地域においては、古里をキーワードとした、現状に合う活動やつながりが必要だと感じました。

最近は、僕は共同売店を通してムラ(共同体・地域)の視点が強くなって来てるブゥ~
Posted by チェ・ブゥ~ブゥ~ at 2011年11月19日 10:24
とっても勉強になりました。

郷友会ネットワークは、奥深いですね。
それだけ、みんなルーツに誇りをもっているから、
世界各地で日々の生活も頑張れるんでしょうね。
Posted by かもりん at 2011年11月19日 12:29
チェさん
かつては郷友会は郷里をかなり後方支援してきたと思います。
特に戦後、海外からの支援は大きかったですよね。
でも残念ながら、個人的なものは除いて、組織としての支援は現在はあまりできてないんじゃないかな。

奥郷友会のような、組織のしっかりとした一部の郷友会のみだと思います。
郷友会の頑張っている集落は共同売店もしっかりしているのかな?いや大宜味はそんなことはないな、、、

後方支援の役割は、今後例えば母村で災害が起きた場合等は復活するかもしれませんね。
現在は支援より、那覇など移住先でコミュニティ機能や行政による福祉機能が弱まった際に果たす相互扶助組織としての役割が果たせるといいですね。

かもりんさん
久しぶりです!
海外で郷友会、県人会がこれだけ活動を継続、発展できているのはすごいですよね。
ウチナーンチュ大会を単なるお祭りに終わらせないためにも、なぜ海外の人たちが郷友会に参加するのかを知っておく必要があるでしょうね。
Posted by makishi at 2011年11月20日 08:25
ブログ拝見しました
現在大学院で大宜味村の郷友会研究を始めたばかりです。ぜひさらにお話をお聞かせいただければと思っています。
Posted by 宮城(宜野湾在) at 2012年06月24日 21:32
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。