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2015年07月31日

共同売店リスト。かつて共同売店はのべ200以上の地域で設立されたと思われる。

2018年8月 リストを更新しました


「過去に共同売店はいくつあったのか」とよく聞かれます。
1980年前後の沖縄国際大学の研究者による調査(南島文化研究所の紀要、沖縄歴史地図、沖縄大百科事典など)が一番まとまった資料となっているので、それを元に「116店」とされています。(沖縄大百科の記述はこちら

しかしこれは、「1978年の調査(郵送)時に、運営中であると確認された店」です。(『南島文化 第5号』(1983))
当時すでに閉店していた店や、個人が買い取って個人商店になっていた店も多いです。
つまり、過去にわたる最大数ではありません。

共同売店リスト。かつて共同売店はのべ200以上の地域で設立されたと思われる。
『南島文化 第5号』 (沖縄国際大学 南島文化研究所)

戦前だけ存在していた売店も多いです。(旧石川市、具志川市地域など)
また戦後、わずか数年だけ運営された売店もある。(江洲、二見、辺野古、豊原など)
過去の一時期でも存在した数は、上記の調査であげられているだけでも、188店です。(P184-195)

(1980年代の調査には奄美地域の共同売店は含まれていません。おそらく存在を知らなかったのだと思います。私も当初は知りませんでしたが、奄美在住の方からの連絡で分かりました。その辺りの経緯はこちら

農協売店が合理化で閉店した後に共同売店となったところや、最近復活または新設されたもの(漢那2013年、比川2014年※)もあります。
さらに、実際にあちこちの集落を回って調査してみると「この集落にも共同売店があった」という話を聞きますが、奄美の宇検村をはじめ、上記リストにも出てこないものも少なくないです。(羽地中部協同売店など名護市羽地地域、都屋、池原、伊野田第二、上原)
理由としていくつか考えられますが、

1. 調査当時、農協だったため外された。(羽地中部協同売店など)
2. 戦後に配給所として出発し、制度終了後に共同運営を経たが、調査時はすでに個人店だった。
3. 調査から漏れていたか、調査への回答がなく確認できなかった。
4. 地域住民が農協や配給所などと混同していた。

(そもそも沖縄戦で戸籍すら灰になっており戦前の資料が少なく、上記調査でも戦後35年以上たっていること、共同売店自体の価値がほとんど評価されてこなかったことから住民の記憶も曖昧なことが多いので、それが配給所だったのか農協だったのか部落経営だったのか確認が難しい)

前置きが長くなりましたが、、、
一時期でも存在したと思われる共同売店の数(のべ最大数)は、奄美を含めると2018年時点で確認したものは、217あります。


2018年8月 リストは新しいウェブサイトに移しました↓


かつて共同売店があった地域一覧



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