2015年05月14日
移動販売やネットスーパーなどの買い物弱者対策が、地域にトドメを刺すことになるかもしれない
今回の内容については週刊レキオ3月26日号の連載でも書かせてもらいました。
連載にはやや場違いかとも悩みましたが、「年度末特別編」ということにしてもらって、いつもとは違い、論壇コーナーみたいな提言を掲載させて頂きました。
ですが、やっぱり連載の性格上、突っ込んだことは遠慮して書けなかったので、再度ブログで補足しておきたいと思います。
連載にはやや場違いかとも悩みましたが、「年度末特別編」ということにしてもらって、いつもとは違い、論壇コーナーみたいな提言を掲載させて頂きました。
ですが、やっぱり連載の性格上、突っ込んだことは遠慮して書けなかったので、再度ブログで補足しておきたいと思います。
今年の2月から3月にかけて、経済産業省が全国9ヶ所で
「買物弱者の現状と対策に関するシンポジウム」
を開催しました。
・告知ページ https://www.kaimono-taisaku.jp/
・報告ページ http://www.meti.go.jp/press/2015/04/20150415005/20150415005.html
沖縄でも開催されたので、私も聞きに行ってきました。
どんな内容か心配でしたが(笑)、基調講演が沖縄大学の宮城能彦先生だったので、少しほっとしました。
沖縄の共同売店の役割や現状を詳しく紹介して下さいました。
後半のパネルディスカッションでは、宮城先生が進行役で、先進事例者の紹介として他県から招かれた、食材や商品の個別配達を行っている2つの事業者さんと、その一つと提携するという某県内新聞社の担当者が登壇。
各々の事業内容の紹介があった後、宮城先生が事業者さんたちに対して、
「移動販売(車)事業や個別配送事業者側の視点からご覧になると、沖縄の共同売店が果たしているような福祉的、多面的な役割についてどうお感じになりますか」
と、結構ずばり尋ねました。
それに対して業者さん達の答えは、
「配送コストが嵩むため、1日に何軒回れるかが事業の成否の分かれ目。採算を上げるには余計なことはやっていられない」(半ギレ)
とか、
「私たちの会社でもコミュニケーションを大事にしていて、一軒当たりの滞在時間を5分も確保しています。要望があれば電球を替えてあげたりもしますよ」(ドヤ顔)
という答えでした。
最後の質疑では那覇市の市場内の商店さんが、補助事業について尋ねたりもしていました。
この日の参加者は、私が見た印象ですが、自治体関係者や業者っぽい人が多く感じました。
「買い物弱者」の当事者である地域住民や高齢者などは少ないように思えました。
基調講演に宮城先生を選んだのは素晴らしかったですが、内容としては、シンポジウムというより、経済産業省による「業者に対する補助事業の説明会」のような印象でした(実際そうなんでしょう)。
シンポの最後に私が感じた感想は、率直に言わせてもらえると、
「あぁ、こんな宅配事業者が沖縄に乗り込んできたら、共同売店もマチヤグヮーもおしまいだ、、、」
でした。
もうちょっと遠慮無く言わせてもらえれば、
「こうやって国は地域の事情も顧みず、税金を使って、県外の業者が沖縄を草刈り場するためのお膳立てをしてあげるんだなあ」
です。
おそらく、スーパーやコンビニチェーンの例と同じように、品揃え、価格など利便性と新奇性で太刀打ちできず、今かろうじて営業を続けている県内の個人商店もバタバタと閉店していくでしょう。
しかし、「こうして時代遅れとなった田舎の店は消えていったのでした、、、」で、終わりではありません。
一昨年から続けている連載では、共同売店はもちろん、中南部のマチヤグヮー(個人商店)も、重要な役割を果たしていることを、ずっと紹介し続けてきました。
高齢者が商品を手に入れるためだけでなく、見守り、地域のコミュニケーションの場となり、地域の豆腐屋さんはじめ小規模な地場産業や卸業者とともに、地域独自の文化や伝統を支える食材や雑貨を供給しています。
ある共同売店で聞いた話では、「寝たきりに近いお婆ちゃんから売店に電話があって行ってみたら、ペットボトルのキャップが開けきれなくて水が飲めない状態だった」という例もありました。
これは信頼で結ばれた住民同士で運営する地域の売店だからできることで、たとえ一軒あたりの滞在時間が5分だろうと10分だろうと時給や派遣や契約で入れ替わりも激しい宅配業者のスタッフに真似できることではありません。
また、店主や店員さん自身が、地域住民であり、地域活動の重要な担い手となって福祉や祭り行事などを支えている例が数多く見られます。
商店だけでなく、クリーニング屋さん、自転車屋さん、豆腐屋さん、理髪店、金物屋、喫茶店、、、町の小さな自営業者はどんどん減っています。
これらの人々はよく、その地の住民の一員として、民生員をしたり、消防団員になったり、PTA役員になったり、お神輿(沖縄にはないですが)の担ぎ手になったり、村芝居や伝統芸能の出演者になったりします。
一方、別の町から通ってくるコンビニの店員さんでは、その店の近所の道案内すらできません。
たとえ地元に住んでいる人であっても、毎日離れた都会の職場に通い、寝るために帰ってくるだけで休日のわずかな時間だけしか地元にいられないサラリーマンばかりでは、地域の文化も相互扶助も支えていくのは困難です。
本島南部のあるマチヤグヮーのおばちゃんの話もとても印象的でした。
「結婚前は県の職員だったんだけど、結婚を期にたまたま店を引き受けることになった。勤め人を続けていたら、とても子どもたちを引き取るなんてできなかった。自宅で商店をやっていたからこそできたんです」
その方は、離婚した親類の子どもたちを引き取ったり、グレそうになった子に進学を勧めたり、自殺寸前だった地域の子に声を掛けたりと、実に面倒見のよい人でした。
連載では字数も限られているので、ここまでは書ききれませんでしたが、以下のように書きました。
「守れ 歩いていける地域の店
沖縄の集落は本土と違い、公民館を中心にコンパクトにまとまっていることが多い。このような地域では、外部から戸別に商品を配達したり、送迎サービスで住民を外に連れ出すことは、住民が交流する機会を奪い、コミュニティの弱体化を招く恐れがある。また、かろうじて営業を続けている在来の商店や市場、卸業者にも大きな影響が与え、伝統行事に欠かせない独自の食材や商品も失われることが予想される。
地域活性化に必要なのは、単なるモノではなく、人々が集う拠点機能だ。沖縄の地域性を理解し、住民一体となって「地域の商店」を守る取り組みに対する支援が急務だ。」
↑クリックすると拡大します
一方、経産省がまとめた冒頭の事業の報告書は、統計や海外の論文が上手にまとめられていて、とても参考になります。
しかし、「コミュニティ」という言葉は何度も出てきますが、縦割りらしい非常に一面的なもので、文化や教育や福祉や地域性など、多面的な人々の暮らしの匂いはまったく感じられません。
http://www.meti.go.jp/press/2015/04/20150415005/20150415005-2.pdf
この事業報告書では、いろいろな解決方法を検討してはいますが、結局は「物流コストと行政コスト低減」のため、「コンパクトシティ化する」という結論ありきに見えます。
この「コンパクトシティ化」は、とどのつまり、平成の大合併のような切り捨てを、さらに進めるのでしょう。
私には、
「小さな集落があちこちに離れているから輸送や公共施設に金がかかるんだ。だったらみんな潰して一箇所に集めちゃえ」
と書いてるようにしか見えません。
沖縄のやんばるで言えば、
「辺戸も奥も楚洲も安波も安田も、面倒見きれないから見捨てます。みんな名護に移住させ、買い物はショッピングセンターかネットでして下さい」
みたいなものが、経産省の描くコンパクトシティ像でしょう。
本当に買い物弱者を支援するためには、今地域に残っている商店や共同売店やその他のローカルビジネスを支援し、コニュニティの自助力をエンパワーすることが第一です。
移動販売やネットスーパーが「モノ」だけを配達するのは、難民キャンプや被災地に配給物資を届けるのと変わりありません。
緊急時には仕方ありませんが、それは単なる一時しのぎであり、そこには地域の伝統も維持も、未来もありません。
利益を持ち去り、儲からなくなったらさっさと撤退するだけの外部の業者を支援することは、今必死に踏みとどまって頑張っている地域の担い手を、応援するどころか、トドメを指すことになるかも知れません。
「買物弱者の現状と対策に関するシンポジウム」
を開催しました。
・告知ページ https://www.kaimono-taisaku.jp/
・報告ページ http://www.meti.go.jp/press/2015/04/20150415005/20150415005.html
沖縄でも開催されたので、私も聞きに行ってきました。
どんな内容か心配でしたが(笑)、基調講演が沖縄大学の宮城能彦先生だったので、少しほっとしました。
沖縄の共同売店の役割や現状を詳しく紹介して下さいました。
後半のパネルディスカッションでは、宮城先生が進行役で、先進事例者の紹介として他県から招かれた、食材や商品の個別配達を行っている2つの事業者さんと、その一つと提携するという某県内新聞社の担当者が登壇。
各々の事業内容の紹介があった後、宮城先生が事業者さんたちに対して、
「移動販売(車)事業や個別配送事業者側の視点からご覧になると、沖縄の共同売店が果たしているような福祉的、多面的な役割についてどうお感じになりますか」
と、結構ずばり尋ねました。
それに対して業者さん達の答えは、
「配送コストが嵩むため、1日に何軒回れるかが事業の成否の分かれ目。採算を上げるには余計なことはやっていられない」(半ギレ)
とか、
「私たちの会社でもコミュニケーションを大事にしていて、一軒当たりの滞在時間を5分も確保しています。要望があれば電球を替えてあげたりもしますよ」(ドヤ顔)
という答えでした。
最後の質疑では那覇市の市場内の商店さんが、補助事業について尋ねたりもしていました。
この日の参加者は、私が見た印象ですが、自治体関係者や業者っぽい人が多く感じました。
「買い物弱者」の当事者である地域住民や高齢者などは少ないように思えました。
基調講演に宮城先生を選んだのは素晴らしかったですが、内容としては、シンポジウムというより、経済産業省による「業者に対する補助事業の説明会」のような印象でした(実際そうなんでしょう)。
シンポの最後に私が感じた感想は、率直に言わせてもらえると、
「あぁ、こんな宅配事業者が沖縄に乗り込んできたら、共同売店もマチヤグヮーもおしまいだ、、、」
でした。
もうちょっと遠慮無く言わせてもらえれば、
「こうやって国は地域の事情も顧みず、税金を使って、県外の業者が沖縄を草刈り場するためのお膳立てをしてあげるんだなあ」
です。
おそらく、スーパーやコンビニチェーンの例と同じように、品揃え、価格など利便性と新奇性で太刀打ちできず、今かろうじて営業を続けている県内の個人商店もバタバタと閉店していくでしょう。
しかし、「こうして時代遅れとなった田舎の店は消えていったのでした、、、」で、終わりではありません。
一昨年から続けている連載では、共同売店はもちろん、中南部のマチヤグヮー(個人商店)も、重要な役割を果たしていることを、ずっと紹介し続けてきました。
高齢者が商品を手に入れるためだけでなく、見守り、地域のコミュニケーションの場となり、地域の豆腐屋さんはじめ小規模な地場産業や卸業者とともに、地域独自の文化や伝統を支える食材や雑貨を供給しています。
ある共同売店で聞いた話では、「寝たきりに近いお婆ちゃんから売店に電話があって行ってみたら、ペットボトルのキャップが開けきれなくて水が飲めない状態だった」という例もありました。
これは信頼で結ばれた住民同士で運営する地域の売店だからできることで、たとえ一軒あたりの滞在時間が5分だろうと10分だろうと時給や派遣や契約で入れ替わりも激しい宅配業者のスタッフに真似できることではありません。
また、店主や店員さん自身が、地域住民であり、地域活動の重要な担い手となって福祉や祭り行事などを支えている例が数多く見られます。
商店だけでなく、クリーニング屋さん、自転車屋さん、豆腐屋さん、理髪店、金物屋、喫茶店、、、町の小さな自営業者はどんどん減っています。
これらの人々はよく、その地の住民の一員として、民生員をしたり、消防団員になったり、PTA役員になったり、お神輿(沖縄にはないですが)の担ぎ手になったり、村芝居や伝統芸能の出演者になったりします。
一方、別の町から通ってくるコンビニの店員さんでは、その店の近所の道案内すらできません。
たとえ地元に住んでいる人であっても、毎日離れた都会の職場に通い、寝るために帰ってくるだけで休日のわずかな時間だけしか地元にいられないサラリーマンばかりでは、地域の文化も相互扶助も支えていくのは困難です。
本島南部のあるマチヤグヮーのおばちゃんの話もとても印象的でした。
「結婚前は県の職員だったんだけど、結婚を期にたまたま店を引き受けることになった。勤め人を続けていたら、とても子どもたちを引き取るなんてできなかった。自宅で商店をやっていたからこそできたんです」
その方は、離婚した親類の子どもたちを引き取ったり、グレそうになった子に進学を勧めたり、自殺寸前だった地域の子に声を掛けたりと、実に面倒見のよい人でした。
連載では字数も限られているので、ここまでは書ききれませんでしたが、以下のように書きました。
「守れ 歩いていける地域の店
沖縄の集落は本土と違い、公民館を中心にコンパクトにまとまっていることが多い。このような地域では、外部から戸別に商品を配達したり、送迎サービスで住民を外に連れ出すことは、住民が交流する機会を奪い、コミュニティの弱体化を招く恐れがある。また、かろうじて営業を続けている在来の商店や市場、卸業者にも大きな影響が与え、伝統行事に欠かせない独自の食材や商品も失われることが予想される。
地域活性化に必要なのは、単なるモノではなく、人々が集う拠点機能だ。沖縄の地域性を理解し、住民一体となって「地域の商店」を守る取り組みに対する支援が急務だ。」
↑クリックすると拡大します
一方、経産省がまとめた冒頭の事業の報告書は、統計や海外の論文が上手にまとめられていて、とても参考になります。
しかし、「コミュニティ」という言葉は何度も出てきますが、縦割りらしい非常に一面的なもので、文化や教育や福祉や地域性など、多面的な人々の暮らしの匂いはまったく感じられません。
http://www.meti.go.jp/press/2015/04/20150415005/20150415005-2.pdf
この事業報告書では、いろいろな解決方法を検討してはいますが、結局は「物流コストと行政コスト低減」のため、「コンパクトシティ化する」という結論ありきに見えます。
この「コンパクトシティ化」は、とどのつまり、平成の大合併のような切り捨てを、さらに進めるのでしょう。
私には、
「小さな集落があちこちに離れているから輸送や公共施設に金がかかるんだ。だったらみんな潰して一箇所に集めちゃえ」
と書いてるようにしか見えません。
沖縄のやんばるで言えば、
「辺戸も奥も楚洲も安波も安田も、面倒見きれないから見捨てます。みんな名護に移住させ、買い物はショッピングセンターかネットでして下さい」
みたいなものが、経産省の描くコンパクトシティ像でしょう。
本当に買い物弱者を支援するためには、今地域に残っている商店や共同売店やその他のローカルビジネスを支援し、コニュニティの自助力をエンパワーすることが第一です。
移動販売やネットスーパーが「モノ」だけを配達するのは、難民キャンプや被災地に配給物資を届けるのと変わりありません。
緊急時には仕方ありませんが、それは単なる一時しのぎであり、そこには地域の伝統も維持も、未来もありません。
利益を持ち去り、儲からなくなったらさっさと撤退するだけの外部の業者を支援することは、今必死に踏みとどまって頑張っている地域の担い手を、応援するどころか、トドメを指すことになるかも知れません。
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