2008年10月06日

共同売店関連論文目録

更新情報 2018年8月
新しい論文リストを新ホームページの資料室に作成しました


以下は、過去の古い情報です===========================

更新:2012年5月
林和孝先生のご協力で、一新しました!有難うございます!
*新たに追加したものにはNEWがついています。
*実際に読んでいないものには「未見」と記してあります。
私が知っているものと、WEB検索したものを集めてみました。私もまだ読んだことのないものも多いです。ただし共同売店をメインテーマにしているものは少ないです。また英語の論文は1つだけでした。どなたか他にご存知でしょうか?
詳細は、「リンク」を参照してみてください。PDFで公開されているものもあります。また書名や著者名でさらに検索してみてください。
*追加、訂正がありましたらご遠慮なくお知らせください。書籍に関してはまた別記事でまとめたいと思っています。

共同店文献
(作成日2012年4月2日、発表年順、沖縄における協同組合関係文献を含む)

1. 西垣恒矩(1913年9月)「沖縄縣産業組合視察記」産業組合中央会『産業組合』(復刻版、日本経済評論社1977年による)

2. 有馬頼寧(1914年10月)「産業組合の解散に就いて」産業組合中央会『産業組合』(同上)

3. 『奥字ノ事績』(1918年)(奥共同店2008年所収)

4. 国頭郡教育部会編、島袋源一郎*(1919年)『沖縄県国頭郡志』

5. 田村浩(1927年)『琉球共産村落之研究』岡書院

6. 有元英夫(1928年10月)「琉球の消費組合『共同店』について」産業組合中央会『産業組合』(復刻版、日本経済評論社1978年による)

7. 山崎勉治(1932年)『日本消費組合運動史』日本評論社

8. 河村只雄(1939年)『南方文化の探究』創元社

9. 浦崎直次(1951年)『奥の歩み』

10. 平恒次(1957年8月)「琉球村落の研究―国頭村奥区調査報告」『琉球大学文理学部紀要(人文科学)』第2号

11. 真境名安興(1967年)『沖縄現代史―千年史姉妹編』琉球新報社(1923年8月付の凡例あり)

12. 国頭村(1967年)『国頭村史』国頭村役場(執筆代表宮城栄昌)共同店文献

13. 持田紀治(1972年2月)「沖縄における村落共同体--本島北部における共同店を中心に」全国農業協同組合中央会編『農業協同組合』第18巻第2号

14. 山城善光(1975年)『山原の火―昭和初期農民闘争の記録』沖縄タイムス社

15. 与那国暹(1976年)「沖縄村落の社会的特質―沖縄農村の自作農的性格を中心に」九学会連合沖縄調査委員会編『沖縄―自然・文化・社会』弘文堂

16. 玉野井芳郎. 金城一雄(1978年12月)「共同体の経済組織に関する一考察--沖縄県国頭村字奥区の「共同店」を事例として」沖縄国際大学商経学部『商経論集』第7巻第1号

17. 大宜味村史編集委員会(1979年)『大宜味村史・通史編』大宜味村(資料編は1978年刊)

18. 安仁屋政昭、玉城隆雄、堂前亮平(1979年)「共同店と村落共同体―沖縄本島北部農村地域の事例」沖縄国際大学南島文化研究所『南島文化』創刊号

19. 仲松弥秀(1980年)『恩納村誌』恩納村

20. 宮城栄昌(1980年)「共同店資料:国頭村字浜共同店沿革誌」沖縄国際大学南島文化研究所『南島文化』第2号

21. 仲間勇栄(1980年)「沖縄県国頭村奥共同店の機能に関する研究」『協同組合奨励研究報告』第6輯、全国農業協同組合中央会

22. 安仁屋政昭、堂前亮平「波照間島・石垣島・西表島の共同店と村落構造」(1982年)沖縄国際大学南島文化研究所『波照間島調査報告書』 未見

23. 安仁屋政昭、玉城隆雄、堂前亮平(1983年)「共同店と村落共同体(2)―沖縄本島中南部地域と離党の事例」沖縄国際大学南島文化研究所『南島文化』第5号

24. 堂前亮平(1983年)「共同店の設立と経営形態」宮城栄昌、高宮廣衛編『沖縄歴史地図<歴史編>』柏書房

25. 堂前亮平(1984年)「伊平屋・伊是名における共同売店と村落共同体」沖縄国際大学南島文化研究所『伊平屋・伊是名調査報告書』 未見

26. 奥のあゆみ刊行委員会(1986年)『奥のあゆみ字誌』国頭村奥区事務所

27. 東村史編集委員会(1987年)『東村史』東村役場

28. 仲地博(1989年)「属人的自治組織の一考察―沖縄県読谷村の事例」和田英夫先生古希記念論文集編集委員会『裁判と地方自治』敬文堂

29. 崎山誌編集委員会(1989年)『崎山誌』今帰仁村字崎山公民館

30. 仲尾次誌編集委員会(1989年)『仲尾次誌』仲尾次誌編集委員会

31. 池野茂(1994年)『琉球山原船水運の展開』ロマン書房

32. 喜如嘉誌編集委員会(1996年)『喜如嘉誌』喜如嘉誌刊行会

33. 堂前亮平(1997年)『沖縄の都市空間』古今書院

34. 北爪真佐夫(2000年)「沖縄における村落(字)と共同店」新妻二男・内田司編著『都市・農村関係の地域社会論』所収、創風社

35. 沖縄大学地域研究所(2003年)『沖縄大学地域研究所所報』特集・戦後沖縄の共同店の変容 第29号

36. 宮城能彦(2004年)「共同売店から見えてくる沖縄村落の現在」村落社会研究第11巻第1号

37. 伽楽可楽編(2006年)『共同店ものがたり―沖縄で100年続くコミュニティビジネス』伽楽可楽

38. 恩田守雄(2006年)『互助社会論―ユイ、モヤイ、テツダイの民族社会学』世界思想社

39. ソーシャルキャピタル研究会(2006年6月)「ソーシャルキャピタルと地域経営」日本政策投資銀行『地域政策調査』第24巻

40. 字誌編集発行事業スタッフ編(2007年)『恩納字誌』字恩納自治会

41. 大澤正治(2007年7月)「沖縄本島北部山原(ヤンバル)地域共同店に関する視点」愛知大学経済学会『経済論集』第174号

42. 市村隆紀(2007年夏)「「奥共同店」100年から考える協同組合と地域の未来」『にじ』第618号

43. 結城登美雄(2007年秋)「『地域再生』とは何か―冲縄県奥集落の『共同店』に学ぶ再生への道」『にじ』第619号

44. 奥共同店(2008年)『奥共同店100周年記念誌』奥共同店100周年記念事業実行委員会

45. 小川護(2008年6月)「沖縄本島北部の共同売店の立地と経営形態の変化―国頭村・大宜味村・東村を事例として」『沖縄地理』第8号

46. 市村隆紀(2008年夏)「『共計在和』に生きる―「奥共同店」100年から考える協同組合と地域の未来」『にじ』第621号

47. 太田周二郎(2009年1月)「共同店型自治の一考察―地方自治の再構築のために」『下関市立大学論集』第52巻第3号 (通号 133号)

48. 宮城能彦(2009年)『共同売店―ふるさとを守るための沖縄の知恵』沖縄大学地域研究所

49. 土屋純(2009年3月)「宮城県丸森町の共同売店『なんでもや』の現状と可能性について―沖縄本島北部の共同売店と比較しながら」『沖縄研究ノート』第18号 未見

50. 眞喜志敦(2009年9月)「地域のくらしを支える共同売店」『都市問題』第100巻第9号

51. 大澤正治. 内記 博夫(2010年3月)「共同店普及シナリオに関する試論」沖縄大学地域研究所『地域研究』第7号

52. 堂前亮平(2010年10月)「沖縄の商業活動--共同店の展開と現状」『歴史と地理―地理の研究』 山川出版社、第52巻第3号(通号 638号)

53. 仲間勇栄(2010年12月)「国頭村の森林と林業の歴史を語る」『琉球大学農学部学術報告』57 リンク

54. 唐崎卓也. 木下 勇(2011年6月)「農村地域の共同店にみられる地域協働に関する研究」『日本建築学会計画系論文集』 第76号(664)



同じカテゴリー(共同売店資料)の記事

この記事へのコメント
どーも、初めまして。
鹿児島大学で建築を選考している修士2年のクルマダと申します。

このブログをいつも楽しく、そして興味深く、
拝見させて頂いております。

この度は、ご報告及び質問がありまして、
コメントさせていただきました。

【ご報告】
南日本新聞の記事やこのブログから
奄美大島のお店の存在を知り、
4月から宇検村にて調査をさせて頂きまして、
「奄美大島宇検村における共同売店の立地と機能の変遷に関する研究」という題目の論文を書きました。

そのため、
共同売店や過疎地にある店舗の今後のあり方を考えるにあたって、
何かの参考になればと思いまして、
ご報告差しあげた次第であります。

【ご質問 -共同売店のある地域について-】
また、ご質問なのですが、
共同売店(地域商店)が沖縄や奄美の一部にしか見られない理由というものがあるのでしょうか?(地域性?また、売店の設立時にみられた集落の共同意識のようなものの違い?など…)

研究を続けながら、ずっと気になっていたことでありまして、
もし何か分かっていることがあれは、
教えていただければと幸いです。
(「独特の共同売店は現在沖縄や奄美の一部で確認されており、他の地域にも似たような組織がある(あった)かもしれない」とおっしゃられていたとは思うのですが…)
Posted by K.Kurumada at 2009年02月22日 00:35
論文題目の訂正

「奄美大島宇検村における共同売店の立地及び機能の変遷に関する研究」が
正しい題目になります。

本当に申し訳ございません。
Posted by K.Kurumada at 2009年02月22日 00:46
クルマダさん、はじめまして。共同売店ファンクラブの眞喜志です。
コメント、ご報告ありがとうございます。
このブログがお役に立ったなら何より嬉しいです。
ぜひ論文を見せてください!
昨年3月にフォーラムで宇検に訪れた際、教育委員会の方も「今まで地域商店を調査した例を知らない」とおっしゃっていたので、貴重な調査資料になると思います。
そしてぜひこの論文目録に加えさせてください!

そしてご質問、

>共同売店(地域商店)が沖縄や奄美の一部にしか見られない理由というものがあるのでしょうか?(地域性?また、売店の設立時にみられた集落の共同意識のようなものの違い?など…)

ということですが、、、

他県・他地域には見られない理由は、やはり沖縄・奄美地域の地理的な条件(島嶼性)や共同体のあり方が共同売店の成立に大きく関係しているからだと思います。

もうひとつ考えられるのは、他県・他地域にも似たような組織(購、頼母子、産業組合など)が生まれたにも関わらず「組織変更した(させられた)」ということです。
沖縄では実際に、戦前は産業組合法に基づいた組織への組織変更の「圧力」が、戦時中は「農業会」、戦後は「農協」(部落単位から村単位へ)へとそれぞれ組織変えを行政側が指導していますが、沖縄の各集落はこれにかなり抵抗してきました。(奄美地域では「有限会社、株式会社」になっています)

素人なのではっきりとは言えませんが、沖縄と奄美地域ではその歴史的地理的な特殊性ゆえに、このような指導(正確には「圧力」かも知れません)が行き届かなかったのかもしれません。そのひとつの例が戦後、この2つの地域が本土から分離され、米軍に統治されていたことだと思います。(いわゆる「共同売店」とはちょっと違うようですが小笠原生協(BITC)の存在も、これに関連して興味深いところです)

「沖縄・奄美にしか見られない」というより、「他の地域でもあった集落単位の組合組織が沖縄・奄美地域では、かろうじて生き延びていた」という表現が、事実に近いのかもしれません。

というのが、あくまでも素人考えです(笑)
ぜひ皆さんのご意見を伺いたいです。
Posted by makishi at 2009年02月23日 01:39
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。