2008年09月10日

恩納売店に高山ゼミ来たる。



今年も東洋大学の高山ゼミの皆さんが沖縄合宿に来ました。
(昨年の報告はこちら

去年は那覇市NPO活動支援センターでお話させていただいたのですが、せっかく沖縄に来るんだから実際に共同売店に行かなきゃもったいないということで、恩納共同売店を訪れました。

恩納共同売店といえば、言わずと知れた「世界最大の共同売店」。
自動ドア、3階建て、レジが3つ!すごい!
58号線沿い、恩納村役場のすぐ南にあり、「おんな売店」という看板は観光客にも意外と知られているようです。

共同売店に関わっている方にも話してもらいたいと思い、30年以上、恩納売店の運営に携わってこられた上間正男さんに来ていただきました。また、学生時代に『地域福祉の視点から考える沖縄共同店の新たな展開』という素晴らしい調査論文をまとめた金城弘樹さんも来てくれて、私にとってもとても勉強になる一日になりました。

しかも上間さんの一声で、恩納共同売店の一室をお借りすることができました。
ありがとうございました!

 

大正の初めに設立された「酒販売組合」が基となって、「恩納産業組合」が誕生(大正11年)。
戦時中は政府統制のもと「恩納村農業会」に統合され、戦後の配給所時代、農業協同組合の分離独立などの変遷や、旧日本円→軍票B円→ドル→日本円と、何度も通貨の切り替えを経験。
また全日食というボランタリーチェーンに加入した経緯なども聞くことができました。

規模の大小に関わらず、どの売店も存続のために懸命に努力していることを、改めて知りました。

学生さんの中には、共同売店とは対極にあるような大手流通企業に就職が内定している方もいました。
大都会の東京で暮らす学生の皆さんにとって、遠い昔の話、遠い沖縄の田舎の売店のことがどれだけ身近に感じられたかと思うと、ちょっと不安ですね。
恩納売店は規模が大きいこともあって、単なる「スーパー」と区別がつかなかったようです。
まあ俺の説明が下手なせいなんだけど、、、。

つづく、、、。  

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2007年12月26日

宮城共同売店(宮城島)

2007年も残りわずかということで、慌てて訪問記をアップします。

今回ご紹介するのは、宮城共同売店。
東村の字宮城にも「宮城共同組合・本店」がありますが、今回は宮城島(うるま市)にある宮城共同売店です。

  
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2007年11月19日

汀間共同売店

ここしばらく、共同売店そのものの話題がなくてスミマセン!
ということで、先日行った汀間共同売店の紹介です。



沖縄本島北部、名護市の東海岸に位置する汀間という部落にある共同売店です。
汀間は「てぃーま」と読みます。
なんとも沖縄らしい名前じゃないですか。
瀬嵩のちょっと先にある小さな集落なので、車で通るとあっという間に過ぎてしまって見落としてしまいますが、拝所(御願する場所)のフクギ並木と公民館の間にあります。

  
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2007年02月03日

奥共同店の選挙

先月、奥共同店の選挙の様子を見せていただく機会がありました。



共同店、共同売店には「主任」と呼ばれる方がいます。
いわゆる一般の商店でいう「店長」にあたる方ですね。
奥共同店に限らず、共同売店の主任さんは、部落の共有財産を扱う大切な役割を任されています。
ということは、主任はムラの「公務員」ということで、給料をムラからもらうわけです。
ということで選挙が行われるわけですね。
共同売店が、ただの「商店」ではないということが伺えます。

奥では、区長、理事、そして共同店主任を選ぶため、2年に1度行われています。



私の父(大宜味村字田港・昭和16年生)は、よく、
「売店の主任というのは誰でもなれるものじゃなく、人望の厚い人しかなれなかった。
田港の売店のおじさんも教養のある人で、学校の教科書を買えない時代、
売店の主任が教科書を写してくれて、それでみんな勉強したものだ」
と話してくれます。



ということで、皆さん非常に真剣で、緊迫感が会場にみなぎってます。
選挙権は、奥区に住所を置いている20歳以上の人。
会場には80人程が集まっていますが、、、私が驚いたのは、



これは共同店前の掲示板に貼りだされていたお知らせですが、
なんと不在者投票までちゃんと行われてたんですね~

恥ずかしながら私は今回、実際に選挙を見せていただくまでは、
「きっと、選挙前に誰が選ばれるかはある程度決まっていて、選挙といっても信任投票のような、形式的な選挙なんじゃないか、、、」
なんて思っていたんですが、そんなことこは全くありませんでした。



ちゃんと票は割れるし、一体誰が選ばれるか、最後まで分からない。
一票一票読み上げられる名前が黒板に書かれるのを、みんな真剣に見つめていて、なごやかなムードなんてものじゃなく、真剣そのもの。
ムラの運営を誰に託すのか。
地域の自治に、全ての人が真剣に関わっている姿を見て驚かされました。
そして、こういう場にムラの若い人たちが普段から触れているからこそ、次世代に伝えられていくのだと思いました。

「自分たちの村を、自分たちで作っている」
奥の方々の強い意思が、100年以上もの間、共同店を守り続けてきたきた根底にはあるんだということを感じさせられました。

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実は今回は、BS日テレ「沖縄楽園スタイル うちなー亭」という番組の取材として選挙の様子を見せていただきました。
この模様は、2/10(土)に放映されるそうです。
【放送予定】
2月10日(土)21:00~21:54
(再放送)
2月11日(日)18:00~
2月17日(土)21:00~
2月18日(日)18:00~

となってます。
他のテレビ局は取材を断られたこともあるらしいので、とても貴重な映像かも知れませんよ!

BS日テレ 沖縄楽園スタイル うちなー亭
毎週土曜 21:00~21:54(54分)
再放送:毎週日曜 18:00~18:54(54分)  

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2006年12月15日

山田共同売店にて その2

前回の続きです)

話はちょっと戻って、山田共同売店を訪れた日の前日、
私は北川さんにできたてホヤホヤの「共同店ものがたり」を読んでいただき、
共同売店の成立や現状についておおまかに説明しました。
北川さんはこう語っていました。

「今、医療法人や社会福祉法人が、介護保険という巨大市場をねらって、
各地の高齢化・過疎化する地域にどんどん進出しようとしている。
早く市民の手による地域密着型、小規模分散型のケアシステムを作らないと、
お年寄りたちの年金は、医者や社会福祉法人に吸い尽くされてしまう。
介護保険料はつり上がり、お年寄りたちは高いカネを払っていながら、
工場の流れ作業のような質の悪い介護サービスを受けざるを得なくなる」

介護保険料に地域間格差があることすら知らなかった私は、
北川さんの話に目からウロコの思いでした。

「共同売店に、デイサービスや、子育て支援施設、学童保育などを併設すれば、
人の集まる場になるし、ここで買い物をすることもできるし、生産の場にもできる。
こうやって、地域経済自体が循環しはじめる。
民家を利用したグループホームやデイサービスが全国で広がっているが、
共同売店のような建物やしくみが残っているというのは、地域の大きな財産。
これを活用しない手はない」


(山田共同売店で売られている地元の野菜や果物と、手作りコーレーグース)

そしてこの日、山田共同売店を訪れ、
北川さんはひと目見て、
「ここならデイサービスを併設した地域密着ケアができる!」
と目を輝かせたのですが、、、、

北川さんの話を聞いていた売店の斉藤さんが、
「実は、ここをデイサービスに貸すことになっているんですよ、、、」
とポツリ。
一瞬、僕もドキッとしました。
「どこや?」すぐに聞き返す北川さん。
「医療法人やろ。やっぱりもう目つけてたんや、、、
介護市場は今や7兆円を越える巨大マーケット。
それをねらって医療法人や社会福祉法人が、外へ、各地域へ進出してきている。
奪い合いは、もうとっくに始まっている。
みんな、福祉と聞くと、心優しい人たちのやる世界と思ってるけど、ホントは戦争やで。
ぼーっとしてたらダメ。
地元の人が知恵を絞って、自分たちで地域を守らんと、食い物にされるだけ。
吸われるだけ吸い上げられて、後には何も残らない。
若者は去り、高齢者だけが残る、限界集落というやつ。
滋賀ではこうならないよう、先手を打って地域ケアの拠点を市民の手で作ってきた。
こういうしくみをきちんと作れたところと、そうでないところでは、
今後、大きな差ができてくる。かわいそうだけど、、、。
沖縄は残念ながら全国一、介護保険料が高い地域。
地域の市民の手でケアのしくみを作れば、安くて質の高いケアが可能になり、そのお金は地域で循環する。
沖縄のお年寄りたちは、限られた年金の中から高い保険料を払わされ、流れ作業の工場のような介護を受けるしかない。
しかもそのお金は、地域から都市部へと流出していく一方。
そいういう意味では、沖縄にはもう相互扶助のしくみは残っていない」

私と斉藤さんは、返す言葉もなく、ただうなずくだけでした。
前日聞かされた話が、現実に進んでいる現場が目の前にあったなんて、、、
「共同売店」というしくみがありながら、現在はまったく生かせていない現実。
この一見のんびりした村で、刻一刻と進んでいる現実。
「共同売店ファン」を自称しながら全く不勉強で、そんな現実も知らなかった自分。
共同店のもつ福祉的な機能、という話は何度も聞いたことがありましたが、
ここまで具体的な問題として考えさせられたのは、今回が初めてでした。

何だか暗い話になってしまいましたが、、、これが現実なんですね。
もちろん恩納村だけでなく、沖縄で、全国各地で起きている現実。
のんびりしてるヒマはないようです。
共同売店を利用した地域ケアのしくみを、ぜひ作らなければならないです。  

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2006年12月12日

山田共同売店にて その1

谷茶(恩納村)にある谷茶里ストアで盛大なカジマヤー祝いを堪能した後、
北川さんと私は南へ下って山田共同売店へ向かいました。

恩納村といえば、大型ホテルが軒を連ねる日本有数のリゾート地。
日本復帰以後、今も続くホテル建設ラッシュで、かつての静かな漁村も姿を変えつつあります。
ホテルの前には、観光客向けのお土産品店、郷土料理店、コンビニが増え、
15の字(集落)すべてにあったといわれる共同売店は、現在は半分になってしまった。
ほとんどは株主制から個人請負へと変わっています。



山田の集落は、そんな国道58号線沿いの喧騒から少し離れたところにあります。
昔はフェーレー(追いはぎ)が出る「難所」として知られた多幸山の近く、
というか「琉球村の近く」といった方が分かりやすいかもしれない。
今でこそ赤瓦の家も少なくなりましたが、まだ昔ながらのたたずまいが残る静かな部落です。

山田共同売店は、今でも住民が所有する株による共同経営が健在。
1戸1株で160戸の組合員がいて、組合長、5つ班の代表からなる理事と監査役という組織での運営。
まさに地域の人々が店を支え、店が地域の暮らしを支える。

そんな山田にも、近くにコンビニができる話があったという。
現在、売店を任されている斉藤さんによれば、
「幸い、話を持ちかけられた土地の所有者が、部落のみんなと相談して、、
結局土地を売らないことにしたそうです。
もしコンビニができてたら、売店はどうなっていたでしょうね、、、」



売店はとても広く作られている。
商品スペースの他に、リサイクル品コーナーや「休憩室」というユンタク場所もあり、
一部は、これまで学習塾に貸していたほど。
北川さんは、店内をひと目見るなり、
ここならデイサービスを作って、地域密着のケアができる!
と目を輝かせて言いました。
前回も紹介しましたが、北川さんは滋賀地域自治研究センターの副理事を勤める方。
介護保険の仕掛け人であり、「しみんふくしの家八日市」「あったかほーむ」など、
民家や町屋を利用して、市民やNPOによる、小規模・地域分散型、
地域密着型のケアシステムづくりを仕手がけてこられたそうです。

京都新聞 ~長高齢社会が来る!~ 福祉セミナー(リサイクルせっけん協会)

今回、北川さんが沖縄の共同売店を見に来たのも、共同店・共同売店のしくみに大きな可能性が秘められていると思われたからです。

(長くなるので2回に分けます。続きはコチラ)  

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2006年12月05日

谷茶里ストアーのカジマヤー

先月、北川憲司さん(滋賀地方自治研究センター副理事)と一緒に共同売店を回りました。



北川さんは今回、別の用事で沖縄に来られたのですが、
「沖縄にあるという共同売店とやらを見てみたい」
と、沖縄リサイクル運動市民の会の古我知さんに相談したところ、
「あー、それならちょうどいいのがいるよ」
ということで、私を紹介されたわけです。

(古我知さんとは、10年前、北川さんが滋賀県でグリーン購入運動をすすめていた際に古我知さんの招きで沖縄で講演した際に知り合ったそうです)

北川さんは地方自治研究センターで、介護保険、地域ケアシステム、福祉ビジネス、NPO支援、まちづくり、地元学などをテーマとした調査・研究、講演活動などを行ってきた方です。

^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
おうみネット http://www.biwa.ne.jp/~ohmi-net/ouminet/ohminet-19/oumi019-1.html
物語・介護保険 http://www.yuki-enishi.com/kaiho/kaiho-23.html

^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
地元学のイベントで結城登美雄さん(民俗学)に講演していただいた時に沖縄の共同売店のことを聞き、ぜひ見たいと思っていたということでした。



北部まで行く時間がなかったので、恩納村へ。
谷茶(たんちゃ)にある谷茶里ストアーの前で、何やらお祭りのような人だかり。
見ると、ちょうどカジマヤー(97才のお祝い)の真っ最中。
地域の人が総出でオープンカーによる道ジュネー(練り歩き行列)と、盛大にお祝いしていて、さすがの北川さんもビックリ。



「歳を取るって、何ておめでたいことなんだ!」
このお祝いを見ていて、素直にそう思いました。
参加していた子どもたちの目にもきっと、みんなにお祝いされて誇らしげなお婆ちゃんの姿が焼き付けられたでしょうね。
お年寄を大切にする文化が、ここではしっかりと引き継がれているんだと感じました。
 
谷茶里ストアーは「谷茶の里」と書いて「やさり」と読ませているそうです。
名前こそ「ストアー」ですが、谷茶区の直営による共同売店。
区長さんが店長を兼任しています。
国道に面した側は店舗ですが、集落に面した裏側へ回ると区事務所、2階は公民館になっています。



共同売店が地域に果たしている役割のひとつに、「共同売店はお婆ちゃんたちの情報交換、 ユンタク(おしゃべり)の場」という言い方があります。
しかし、こういう盛大な行事が行われているのを見ると、そんな小さなものではないですね。
日常的にはユンタク程度の場にしか見えませんが(それももちろん大事だけど)、共同売店は、まさに地域の中心だと感じました。

この後もうひとつ、恩納村山田の山田共同売店に向かうのですが、続きはまた今度。

追記:続きはコチラコチラです。  

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2006年10月10日

奥共同店の百年

奥共同店の百周年記念式典が、10月7日に開催されました。
海と山に囲まれた、人口わずか200人に満たないムラに、たったひとつしかない売店。
その開店百周年のお祝いに、600人の人たちが集まりました。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200610081300_05.html

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-17867-storytopic-1.html

沖縄本島の北端にある、奥という名の小さな部落に、「共同店」という地域住民による共同出資・共同運営の店が誕生したのが、1906(明治39)年。
奥共同店は日用品の共同購入だけでなく、林産物の生産・販売、製茶、発電、酒造などの事業の母体となり、さらに教育資金の援助などを行い、辺境のムラの生活を支えました。
この奥共同店を手本に、他の地域でも続々と「共同売店」が設立されていきます。

共同売店の100年の歴史は、廃藩置県、太平洋戦争、米軍統治時代という激動の時代。
この間、やんばるや離島の人たちの生活を支えていたのは共同売店でした。
「とにかく売店が生活の中心、生活のすべてだった」
1980年頃には、本島中南部、離島を含めて120近い共同売店があったという。
共同売店を核とした小さな経済圏が、沖縄という小さな島嶼に120ヵ所もあり、それぞれが地域性を保ちながら、地域による自治を前提とする運営を行っていた。

沖縄の歴史の中で共同売店が果たしてきた役割は、もっと評価されていい気がする。
日本、中国、アメリカという大国に翻弄された歴史の陰に、小さな集落の歴史、民衆史はかき消されそうになっている。
だけど、そんな小さなムラの歴史の中にこそ、これからの時代になくてはならない知恵がある。
それが共同売店だという気がする。
僕が共同売店を応援したい理由は、単なる郷愁やノスタルジーだけではない。
共同売店が持つ共同出資、協同労働、地域還元のしくみには、今、各地で取り組まれている地域通貨、市民ファンド、コミュニティビジネスなど「コミュニティ再生ツール」の原型が備わっている。
これはスペインのモンドラゴンや、オーストラリアのマレーニの例と並べられてもおかしくないのではないか。
ただそれは「最盛期」の共同売店のことであって、このまま共同売店が消えてしまっては意味のない話なのだけれど。

共同売店を生み、育ててきた根底にあるのは、共生、共同、協働という価値観だと思います。
言いかえれば、「ゆいまーる」や「もあい」なんかに見える沖縄の人たちの、相互扶助の精神、助け合いの心、地縁血縁を大切にする気持ちが、ひとつの地域自治のシステムとして結実した姿が共同売店なのではないかという気がしています。
その共同売店がなくなりかけているというのは、どういうことなのだろう。
あとは今の時代を生きる僕たちが、どんな国、どんな町、どんな村で生きることを望むのか、ということなんだろうと思う。
すべての共同売店が消え、コンビニに変わる日が来るとしたら、その時、僕ら沖縄の人はきっと「癒し」を求めてどこか他の国へ旅行にでかけてゆくんでしょうね。  

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2006年04月24日

大保共同売店

今回は、大保共同売店をご紹介します。

なぜかみんなでズラリと並んでますが、
この人たちが誰なのかは気にしないで下さい(笑)



大保は、沖縄県北部の大宜味村の塩屋湾の奥にある小さな部落です。
実はここは、僕の本籍があったところです。
僕の共同売店めぐりは、この店からはじまりました。

僕の祖父の代まではここ大保で、父は、湾の対岸の田港部落で育っています。
本籍はあったものの、それまで一度もその場所へ行ったことはありませんでした。
住所を頼りに本籍のある場所を探して歩いたのが、僕の共同売店めぐりの始まりでした。
一昨年のことになります。
ちょっとしたルーツ探しですね。

その時に大保の売店に入って、
「大保の18番地ってどこですか?」
と尋ねた相手が、共同売店主任の照屋さんでした。



主任の照屋さんと、あぐー(琉球在来豚)を飼ってる山本さんです。
山本さんは僕のもうひとつのブログ「豚を飼う!」ではおなじみの方です。
塩屋湾に流れ込む大保川の上流へ上り、やまの上の方に行くと、山本さんの養豚場があります。
お二人は親しかったんですね。
へんなところに縁というのはあるものです。



照屋さんは、流木でランプ作っています。
流木は、目の前の海に流れ着いたものだそうです。
和紙を張ったりして、なかなかおしゃれですよ。
注文が来たり個展を開いたり、すでに作家クラスの腕前です。

jinjinさんのブログで紹介されてました。→jinjin沖縄日記:大宜味の手仕事展



そうそう、先日、エコショップえころん(那覇市首里)に行った時、
照屋さんのランプが置いてあるのを偶然見つけ、沖縄の狭さを納得したものです。


さておき。
大保は、比較的新しく開拓された部落だそうです。
もともと耕地も少なく、僕のご先祖さまたちは大変苦労されたようです。

この共同売店が立っているところは近年埋め立てられたところです。
埋め立てる前は、砂州のようになっていて、塩田があったそうです。

海岸の埋め立てというと、自然破壊と受け取る人も多いでしょうが、
長い間、狭い土地で暮らし、急斜面を開墾して畑を開いてきた部落の人々にとっては、
埋め立てによって広い土地が手に入るというのは、まさに悲願であったようです。
埋め立てて作った土地には、広場や公民館も建てられました(建築家、真喜志好一氏の設計)。
その完成を記念して、みんなで綱引きしてる写真が、最近発刊された字誌に載ってました。
みんなほんとに嬉しそうでした。

大保部落の歴史をまとめた、字誌が発行されました。


流木のランプが気に入られた方は、
ぜひ美しい湾のほとりの小さな部落にある、
小さな売店を訪れてみてください。
ヒゲのオジさんが、照れくさそうに迎えてくれるハズです。

大保共同店  大宜味村字大保1-16  0980-44-2141  

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2006年03月03日

呉我共同売店

ご無沙汰しております!

ちんどん屋と豚の方で行事が立て込んでまして、なかなか更新できずスミマセン、、、

詳しい説明は後にしまして、

先月17日に名護(今帰仁だと思ってました、スミマセン!)の呉我共同売店に行ったので、写真アップします。



このイルミネーション! 素晴らしい!



東京から来られた先生方と一緒に、ヤンバルを廻ったんですが、

モチロン、コンビニなんかには寄らず、共同売店に案内しました。

平ウコー(御香)やウチカビ(紙銭)なんかに興味を持ってました。

おみやげに、タンナファクルーなど買ってました。




これからの沖縄の観光コースには、ぜひ共同売店をおすすめします。

観光客の皆さん、

DFSには、「あまがし」も、「塩せんべい」も売ってないですよ!

主任の嘉手刈さん、夜に突然、おおぜいでお邪魔して失礼しました!  

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2006年01月11日

安田協同店

今年最初に紹介するのは、安田(あだ)協同店。『季刊カラカラ冬号』のために話を聞きにいったんですが、書ききれないことがたくさんあったので。(取材日 2005.10.29)



沖縄本島北部・国頭村、太平洋に面する安田部落。
本島北端の部落である奥から南下すると、楚洲に次いで2つ目の部落。
他のほとんどの部落は東海岸を貫く県道70号線沿いに点在するから、ヤンバル一周ドライブのついでに通ることができる。
でも安田へ行くには、70号線を外れ、2キロ程下っていかなければならない。
この先にあるのは安田部落と海だけ。
ドライブ客もツーリング族も、なかなかここまで足を伸ばすことは少ない。
ゆえに、実は那覇から一番遠い場所、と呼ばれることもある。

国頭村のホームページによれば、人口258名、戸数110。国の重要無形文化財に指定されている祭り「シヌグ」の地としても知られる。|安田の大シヌグ

でも最近では、「ヤンバルクイナの里」としての方が有名かもしれない。
絶滅が危惧されるヤンバルクイナの保護のため、安田区ではすべての飼い猫の登録を義務付け、マイクロチップを付ける試みをはじめたところ、その動きはヤンバル全体に広がった。昨年2005年3月には、ヤンバルクイナ救命救急センターも完成。それらの取り組みが評価され、第6回明日への環境賞を受賞。
来る1月13、14日には、ヤンバルクイナの保護に関する国際ワークショップヤンバルクイナ国際会議(沖縄タイムス2005.12.25)(主催・ヤンバルクイナPVA実行委員会)が安田の公民館で開かれる。


前置きが長くなりました。安田協同店のお話。




―― 安田協同店の主任、宮城稔さんにお話を伺いました。

「今はもう部落の経営ではありません。
請負制に変わったのは、6年前。当時の主任だった人が請け負いすることになった。
私が請け負ってから4年目です。入札と契約は2年ごと。月々いくらという形で請け負って、部落に対して家賃を支払うカタチ。
この土地や建物は部落の共有財産ですから、部落には財産管理委員会というのがあって、そこに支払うわけです」

―― やがて「共同売店はどこもきびしいよね~」といういつもの話になる。

「こっちも売上は年々落ちてる。
経営は請け負った人に任せられるんですが、営業時間など部落で決められた規則がいくつかあって、それは守らなければならない。
数年前に国頭商工会が一括仕入れ案なんていうのを考えていろいろ話し合ったけど、結局ダメになったし。
仕入れ先はけっこう多いですよ、20社くらい。金物屋とか乾物屋とか、パン屋さんとか、、、一括仕入れは難しいよね」

―― 「部落の人はよく共同店を利用していますか?」

「ここから一番近い町は、辺土名。そこまで車で30分くらい。 でも若い人は名護辺りまで買い物にでかけちゃう。
生協で買う人も多い。若い人はほとんどだね。
部落に協力しようという気持ちが薄れてきている。店がなくなれば、タバコ1個買うのに車で出かけなきゃいけなくなるというのに

―― 「店のとなりに民宿もありますが、観光客は来ますか?」

「ヤンバルクイナで全国的に有名になったのはいいけど、変な人が多くなって困るね(笑)
最近はヤンバルクイナが部落内まで下りてくるので、カメラ下げた観光客が人の家にまで入ってくるようになった。
観光客も昔は地元で買ってくれたけどね。最近は向こうで買って持ってきて、代わりにゴミを置いていったりね(笑)」

―― 「掛け売りはしてますか?」

「掛け売りもしている。全員に対してではないけど。
商売の運営はまかされてるから自分の判断。回収できなければ自分の損になるだけだよ。
新聞代も売店に払っている。部落に新聞販売所はあるけど集金はしてないから。
延売帳?それはもちろんあるよ。班ごとに全戸載ってる。部落の人なら全員顔を知ってるから」




―― 公民館でパークゴルフの打ち上げ中の皆さんにちょっとお邪魔してきました。仲原さん(国頭村役場勤務)のお話。

「私は以前、沖縄大学の上地武昭先生とやんばるを回って調査したことがあります。
売店がなくなったら、そりゃ大変です。困るのは年寄り。
福祉的な面から活性化していかないとけない。
でも各売店の人たちは、目の前の商品を売ることで精一杯。いろんなことをやる余裕がない。
儲けは少ないけど、みんな使命感でやっているんだよ。
部落の住民が必要性に気付いていない。
存在価値、必要性をもっと訴えていくことが大事じゃないかな」


―― 古堅昇さん(安田区財産管理委員会委員長)のお話。

「共同売店?こんな田舎のこと、やってもどうにもならんよ。
名護のスーパーのチラシが来れば、みんな車で買いに行く。共同売店の仕入れ値よりそっちの方が安いんだから太刀打ちできない。
道がない頃は、生活のあらゆる面を支えてきたけど、今は地域の人が買わないんだからどうしようもない。
若い人は何でもとにかく安いところで買えばいいとしか考えていない。部落を支えようという意識がない」

―― いきなりアッサリと「どうにもならん」と言われてたじろいたが、どうにか話をそらすために「財産管理委員会って何ですか?」と尋ねる。

「財産管理委員会は、今まで積み立てて来たお金や公民館などの財産を管理している。
今のバスは村営になっているけれど、昔はバスも売店で出していた。
区費は共同店の資金でまかない、PTAなどに寄付した。
最近できた公民館は補助金で作ったけれど、そっちにある前の公民館は売店の売り上げを蓄えて部落で建てたものだよ。当時のお金で7000ドルだった」」

―― 「売店が出来たのはいつごろですか?」

「安田協同店ができたのは大正の初め。
戦前の記録は失われている。ここはこんな田舎だけと、燃料となる木炭をたくさん生産し、積んでいたから、軍事施設とみなされて米軍の艦砲射撃を受けた。家一軒残っていなかったよ。
戦後、協同店は配給所として再興された。
米軍が駐留していた塩屋(大宜味村)や辺土名(国頭村)から、米や缶詰を担いで、与那の山道を歩いて運んだよ。
夜明け前に出発して、着いた時には真っ暗だった。一日がかり。
その後は船を買い、塩屋か与那城へ仕入れに行くようになった。
1956年に道が開通したので、トラックを買って仕入れるようになった」

―― 当時の話になると、生き生きと記憶が甦って楽しそうな古堅さん。

「山仕事はいくらでもあった。
最盛期には、部落の人口は1000を越えていた。
建築材、炭、タムン(薪)。山から切りだしては浜に運んで、船に積んで。役場なんかに務めるよりも、山仕事の方が倍は稼いだ。
それを共同店がすべてやるんだから
那覇へ売りに行き、必要なものを買い、部落で安く売った。共同店は、まさに生活や経済の中心だった。
共同店は一時は3つもあったこともある。政治的な理由だったが。
昭和8年にまた一つになった。
復帰して、本土からスギ材が入るようになり、やがてもっと安い外材が輸入されるようになり、山仕事もなくなった。
昔はサトウキビを2トン出荷すれば1人分の月給(50ドル)になったものだ。
今はキビはトン2万。2トン出荷しても4万円にしかならない。
肥料も高くなってしまった。 今は、ここは農業も大した事はない。漁港が中心」

―― 「古堅さんは主任をされたことは?」

「私は主任も何度もやったよ。
買い物をすると券を渡した。それを集めて年間どれだけ買ったかによって配当した。
昔は朝7時から夜10時まで開けていた。今みたいに、ビールやお酒をまとめて買うなんてことはできない。
みんな金もないし、冷蔵庫なんて各家庭にはないから、お酒も醤油もすべて量り売り。
酒はとても高価だった。だから酒のみの家は大変。子供を糸満に売ったり。
昔は金がなくても、立替えてやったり、奨学金を出したり、銀行と一緒
店には石油やガソリン、薬品など何でも置けた。しかし今は規制ができて、資格がないとダメ、施設も整備しないとダメという時代になってきた。
おかげで今の共同店は、ただのマチヤ小になってる。
以前は、診療所があり、産婆さんもいて、みんな家で出産したものだが、、、、
確かに消毒が不充分で、生後1週間で死んでしまうようなことも昔は多かったが。
それなのに、今ごろになって名護病院に産婦人科医がいないなんてことになってる(笑)」

―― 今のことになるととたんに暗くなる古堅さん、、、

「共同体意識は薄れてる。
昔は萱吹きなども、みんなでユイマール。男でも女でも平等だった。
今は一から十まで金の計算。 世の中便利になりすぎて、電話一本でアメリカからでも買える。
共同店が昔のように発展するなんて考えていない。
新しいことをはじめるのは大変。
せめて今の状態を何とか維持できれば、、、」  

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2005年11月13日

奥共同店 その2



奥共同店の仕組みを、ちょっとおさらいします。

共同店は、奥区の共有財産です。
区が共有する施設は他に、奥交流館、資料館、奥ヤンバルの里(宿泊施設)などがあり、
財産管理運営委員会によって管理運営されています。
奥ヤンバルの里

店の経営を任されている人は「主任」と呼ばれ、
2年ごとの選挙で選ばれます。
「僕は区から給料をもらっている、いわば公務員です」
と奥共同店主任、糸満盛也さん。

ちなみに奥共同店主任は、奥茶業共同組合の組合長も兼任します。
お茶の生産は、奥の主要産業のひとつで、
共同店が中心になって生産、製茶、販売を行っています。
毎年4月になると、奥の銘茶「奥みどり」は、
「日本一早い茶摘み」として新聞やテレビで全国に紹介されるほど。

奥共同店では、主任の他に2名の店員さんがいらっしゃいました。
これは他の共同売店と比べるとすごいことです。



過去には、精米、運送、酒造、電力、金融などさまざまな事業を行ってきた奥共同店ですが、
現在は、購買(日用品販売)と、お茶の製造販売が中心です。

「でも最近は、ずっと途絶えていた炭焼きと田んぼを復活させたんですよ」

僕がお話をうかがってきた日は、ちょうど刈り入れの日でした。
子供たちも集まり、昔懐かしい足踏み式の千歯こきでもみを取っていました。
炭焼き研究会も発足させて、炭焼き小屋を建て、生産を始めています。

また、糸満さんは、国頭ツーリズム協会にも所属しており、
奥の集落をのんびりと巡る、「散策コース」の案内人も務めています。
サンゴや石を利用した塀やヒンプン、昔ながらの赤瓦の家、
民具資料館や、製茶工場、もちろん共同店も、
集落の特徴を表す約20カ所をのんびり散策できるそうです。
国頭村ツーリズム協会(Gコース のんびり奥集落) TEL 0980(50)1130

これらは今後、田んぼや炭焼きなどと合わせて、
体験型観光、エコツーリズムの素材として共同店の新たな事業となりそう。

さすが、共同店発祥の地はまだまだ元気だと安心したんですが、
今困っていることは、と糸満さんに尋ねると、

「最近、パンを卸してくれていた業者が廃業してしまって、
ウチを含めて周辺の共同店にもパンが入ってこないんですよ。
仕方ないから、自分で辺土名まで仕入れに行ってます。
モチロン赤字覚悟。ガソリン代も出ないです(笑)」


やはり苦労は絶えないですね~
糸満さんをはじめ、共同店を経営されている方々は、
みな「部落のため」という使命感で努力されている人たちばかり。
本当に頭が下がるというか、
支えていく仕組みを考えていかなといけないですね。



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前回もお知らせしましたが、
12月10(土)に、創立100年に向けた奥共同店のフォーラムが開催されます。
たくさんの人が参加して、共同店の現在と未来を、一緒に考えていけたらと思います。

奥区事務所 0980‐41‐8446
奥共同店  0980-41-8101  

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2005年11月08日

奥共同店 その1

まずはお知らせ!
奥共同店創立100周年に向けたフォーラムが開催されます!!
来月の12月10日(土)、奥集落センターにて。

みんなで共同売店を応援しましょう!

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沖縄の各地で、村々の生活を支えてきた共同売店。
その歴史は奥共同店から始まりました。
奥共同店は1906年4月に創立されました。
ということは、来年は記念すべき創立100年!

明治の末期から、戦争、米軍統治、そして日本復帰。
荒れ狂う大波のような時代のうねりを越えて、
共同売店は、つねに生活の中心であり続けてきました。

共同売店とは、ヤンバルや離島などの、部落(集落、シマ)単位で
住民が平等に出資しあって設立、運営している店のこと。
第1号の奥共同店の誕生を機に、沖縄各地で次々と設立され、
今なお数十店が残っているといわれます。
小さな辺境のムラが、外来の商人などから地域を守るため、
生み出した仕組みが、共同売店です。



奥共同店の創立80周年を記念碑にはこうあります。

「糸満盛邦翁は安政元年(一八五四)に生まれ、
昭和14年(一九三九)八十四才で没した。
同氏は公共心に厚く、
生前自ら営んでいた店の利益が大なることを認め、
それを何とか字民共同の事業とすべく、
時の有志と諮り字民の多大の賛同を得て
同氏の雑貨店を引継ぎ、
明治三十九年春、
奥共同店として産声をあげた。
そして同氏は自ら同店の監督として、
その基礎づくりと発展に尽くされた。
共同店創立八十周年記念に当り、
その功績を讃えこの碑を建立する」


共同売店は普通の店とは違って、
「店主」ではなく、「主任」がいます。
現在の奥共同店の主任は、糸満盛也さん。

共同店の主任というのは、区に雇われて給料を貰ってるんです。
主任は、区の選挙で選ばれる。任期は2年。
私が主任になったのは今年3月から


共同売店が、普通の個人商店とは大きく異なる点はここです。

でも、選挙といっても立候補する人はいませんよ、
だって儲からないもの!」


と笑いとばす糸満盛也さんは、実は創立者の糸満盛邦翁の血を引くとか。

創立者の糸満盛邦は元家(糸満家)の4代目。
僕は7代目にあたる




ここの方言は沖縄のどことも異なってますよ。
自動車道が開通したのが昭和28年。
それ以前は、隣りの部落よりも
沖に見える与論島との行き来が盛んだったくらい


奥をはじめとするヤンバルの各部落は、かつて、
どこへ行くにも船が頼りの、文字通りの「陸の孤島」だった。
奥の人たちは、共同で船を購入し、重要な産物である薪や炭を那覇に売り、
帰りには、生活物資を買って戻ってきた。

当時は炭焼き窯が45個所もあって、
それをまとめるのが共同店だった


最盛期には、木炭の生産だけでなく、
共同で精米や、酒造、電力事業まで行っていた。
そうやって上がった利益は、住民へと分配され、
診療所を建てたり、奨学金にあてたりなど、
福利厚生事業などで還元された。

このようにして共同売店は、人々の生活や経済に大きく関わってきましたが、
日本復帰(1972年)以後、その数は減り続けています。
1978年から83年にかけての沖縄国際大学南島文化研究所の調査では、
120ほどの共同売店が残っていましたが、
現在は、半減しているといわれています。


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まだまだあるんですが、
長くなるので、今回はここまでにしておきます。  

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2005年11月07日

鏡地共同店

長らくお待たせいたしました。
今月は「共同売店ファンクラブ更新強化月刊」です。
ということで、がんばって参ります。

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鏡地共同店。

儀保正輝の名曲、「恋し鏡地」(くいしかがんじ)で唄われ、広く知られる鏡地は、、、
と紹介したいところだけど、
「JALプライベートリゾート・オクマがあるところ」
と言った方が分かりやすいのでしょうね。
少し淋しい気がしますが。

国道58号線を北上して、国頭村に入って2キロほど、
交差点にコンビニ(Fマート)と、「道の駅ゆいゆい国頭」が見えてきます。
その交差点を海側に折れ、しばらく行くとJALプライベートリゾートがある。
そのゆるいカーブの途中に、鏡地共同店はあります。

国頭村のHPによれば、鏡地の世帯数は120戸ほど。
国頭村の中では、けっして小さくはない、中くらいの部落。
最近パークゴルフ場やスポーツ施設なども整備されてきている。

有名リゾート、道の駅、スポーツ施設、、、
こういう立派な建物が揃っていても、
共同売店の経営は厳しい。

以前に紹介した、比地共同店宇良共同店とも割に近いのですが、
状況も似ていたようで、今年の3月末から一時、店を閉めていたそうです。
理由はモチロン、店を引きうけてくれる人がいないからです。

それでは車を運転できない年寄りたちが生活できない
ということで、何とか引きうけてくれる人を探し、再開へと漕ぎつけているんですね。
みなさん、共同店経営が楽ではないことは充分に知りつつ、
部落のために、と半ば「使命感」で店を引きうけた方たちです。

「まずは、アイスクリームなんかを入れてた古い冷蔵庫がいくるもあったので片付けてしまった。
そしたら電気代が3分の2になったよ」

と鏡地共同店の新しい主任さんは笑った。

「今まで卸業者の言いなりに置いていた商品を見なおして、売れないモノはみんな下げてもらいました。
だから今は棚がガラガラで淋しいけど。これから少しづつ売れるものを増やしていこうと」



国道沿いにできたコンビニの影響はないですか?

「それは確かにある」

JALプライベートりゾートの宿泊客が共同店に足を運ぶことはあまりない。
宿泊客はみな、ホテルへ来る途中、交差点にあるコンビニを見ながら来る。
すると当然のように、そっちへ行ってしまい、途中にある共同店は素通りされてしまう。

しかし、観光客にとって「敷居が高そう」に見える、というのも事実。

「店の前を一部改装して、椅子など置いて、気軽に寄れるようにしたい。
刺身や料理なども置けるよう、保健所の許可も取ってきてある。
もうすぐ国道からコンビニにを通らずにホテルへ通じる道ができるので、
そうすれば、もっとホテルの宿泊客なども呼べるかも知れない。
改装資金?もちろん自腹だよ」

行政は何億も使っていろんな施設を作るけど、
その地域を支えようと必死でがんばってる人たちのために、そのお金の100分の1でも使ってくれたら、
と思ってしまうのは僕だけでしょうか。
共同店は、それぞれが自立したもので、行政とは関係ないというけれど、
国だって民営化とか、業務の民間委託とか、指定管理者制度とか始めてるし、、、

今だって充分に、共同店は、行政がカバーできていない部分を支えているのだから。

それはともかく、
JALプライベートリゾートオクマへ行かれる観光客の皆様、
ぜひ鏡地共同店で、ホントの沖縄の空気に触れていってください。


鏡地共同店  国頭村字鏡地100 TEL0980-41-2391   

Posted by マキシ at 00:29Comments(1)TrackBack(1)共同売店訪問記